
朝、工事現場に着く。
カラーコーンが並ぶ。
作業車が来る。
職人たちが集まる。
そして警備員が、それぞれの配置につく。
道路の端。
工事現場の入口。
交差点。
歩道。
そこに立つ。
通り過ぎる人から見れば、それだけだ。
今日も警備員が立っている。
しかし最近、私は思う。
もし、ここに誰も立っていなかったらどうなるのだろう。
工事車両は、どうやって道路へ出るのか。
歩行者は、誰が安全な場所へ誘導するのか。
子供が近づいたら。
自転車が飛び込んできたら。
大型車がバックしてきたら。
職人が作業しているすぐ横を、一般車両が通ったら。
そう考えると、警備員という仕事の見え方が少し変わってくる。
誰かがここに立っているから、誰かが安心して仕事をすることができる。
警備員とは、そういう仕事なのではないか。
警備員の社会的役割とは「日常を止めない」こと
社会には、目立つ仕事がある。
建物を設計する人。
道路を造る人。
電気を送る人。
鉄道を動かす人。
商品を作る人。
しかし、その仕事が安全に進むためには、周囲を支える仕事も必要になる。
警備もその一つだ。
道路工事が行われても、一般の人の生活は止まらない。
会社へ行く人がいる。
学校へ行く子供がいる。
買い物へ行く老人がいる。
自転車が来る。
宅配便が来る。
救急車が通ることもある。
工事を進める側と、いつもの生活を続ける側。
その二つがぶつからないように調整する。
それも警備員の役割である。
工事を止めない。
同時に、人々の日常も止めない。
地味だが、社会を動かすためには必要な仕事なのだ。
交通誘導警備は「危険と日常の境界線」に立つ仕事
交通誘導警備をしていると、自分が妙な場所に立っていることに気づく。
こちら側では工事をしている。
向こう側では、普通の生活が続いている。
その間に、警備員がいる。
大型車が現場から出る。
その直前まで歩行者を通す。
いったん止まってもらう。
車両を出す。
安全を確認する。
再び歩行者を通す。
ほんの数分の出来事だ。
だが、その数分の判断を間違えれば事故になる可能性がある。
車は鉄の塊だ。
人間とは比べものにならないほど重い。
だから、
「たぶん大丈夫だろう」
では駄目なのだ。
見る。
止める。
待つ。
確認する。
そして通す。
交通誘導警備とは、単に誘導棒を振る仕事ではない。
危険と日常の境界線を管理する仕事なのである。
警備員の仕事は「事故が起きる前」にある
事故が起きればニュースになる。
しかし、
事故が起きなかったことはニュースにならない。
ここに警備という仕事の面白さと難しさがある。
歩行者が工事区域へ入りそうになった。
声をかけた。
止まった。
終わり。
自転車が工事車両へ近づいた。
誘導棒を出した。
速度を落としてくれた。
終わり。
大型車がバックする。
後方を確認した。
安全に収まった。
終わり。
何も起きない。
だから、その数秒の判断が誰かの安全を守ったことなど、誰も気づかない。
それでいい。
むしろ、
気づかれないまま一日が終わることが、この仕事の成功なのだ。
警備員は、事故が起きてから活躍する仕事ではない。
事故になる前に、その芽を摘む。
そこに大きな社会的価値がある。
警備員は「現場のセンサー」である
私は警備員を、現場に置かれた人間のセンサーのようなものだと思うことがある。
右を見る。
左を見る。
後ろを見る。
上を見る。
足元を見る。
車を見る。
人を見る。
そして、その人の表情まで見る。
スマホを見ながら歩いている。
こちらの合図に気づいていない。
子供が走ってくる。
老人がゆっくり歩いている。
自転車がかなり速い。
ドライバーがこちらを見ていない。
ほんの少しの違和感を拾う。
そして、
「危ないかもしれない」
と思ったら、事故になる前に動く。
前回、AIについて書いた。
これから監視カメラや画像認識、センサー、AIによる危険予測はますます進むだろう。
警備の一部も自動化されるかもしれない。
それでも現場には、予想外の動きをする人間がいる。
その人の顔を見て、
「この人、こっちを見ていないぞ」
と感じる。
そんな人間同士の察知能力は、まだ現場で大きな意味を持っている。
施設警備の役割は「見える安心」をつくること
道路だけではない。
施設警備にも、そこに人がいる意味がある。
入口に警備員がいる。
館内を巡回している。
防犯カメラを確認している。
困っている人に声をかける。
異常があれば対応する。
普段は何も起こらない。
だから利用者の多くは、警備員を意識することさえないだろう。
しかし、何か起きた瞬間、
「警備員さん!」
と呼ばれる。
警備員がそこにいること自体が、
「何かあったら対応する人がいる」
という安心になる。
犯罪や迷惑行為への抑止にもなる。
つまり施設警備は、安全を守るだけでなく、
「ここは安心して利用できる場所です」という空気をつくる仕事でもある。
「ご苦労さま」の一言で、自分の役割に気づくことがある
警備員をしていると、ときどき通行人から言われる。
「ご苦労さま」
「暑いのに大変ね」
「ありがとう」
私は以前、こういう言葉をそれほど深く考えなかった。
しかし長く現場に立っていると、妙に心に染みる日がある。
こちらは、その人の名前を知らない。
向こうも私の名前など知らない。
二度と会わないかもしれない。
それでも、
「ありがとう」
と言って通り過ぎる。
その瞬間、
ああ、自分はこの人を安全に通すために、ここにいたんだな
と思う。
大げさな社会貢献ではない。
世界を救ったわけでもない。
たった一人を、安全に通した。
でも社会というものは、案外そういう小さな仕事の積み重ねでできているのではないだろうか。
警備員のやりがいは「自分が守る」と決めたときに生まれる
警備は、日給のために働く仕事でもある。
私だってそうだ。
生活がある。
金が必要だ。
きれいごとだけでは働けない。
だが、同じ八時間立つなら、
「早く終わらないかな」
だけで立つのと、
「ここは俺が見ている」
と思って立つのとでは、少し違う。
工事車両が出る。
俺が見る。
子供が来た。
俺が注意する。
老人が歩いている。
急かさず、安全に通す。
自転車が来る。
早めに合図する。
その場所に配置された数時間だけでも、
「ここを任された」
と思ってみる。
すると、不思議なことに警備という仕事に輪郭が出てくる。
使命感なんて言うと、大げさに聞こえるかもしれない。
しかし使命感とは、英雄になることではない。
自分の持ち場を、自分の責任で守ること。
私はそれで十分だと思う。
警備員に向いている人は「責任を引き受けられる人」
では、どんな人が警備員に向いているのか。
腕力が強い人?
声が大きい人?
体力自慢?
もちろん役に立つことはある。
しかし、それ以上に大切なのは、
自分の持ち場から目を離さない人だと思う。
時間を守る。
挨拶をする。
周囲を見る。
わからなければ確認する。
危険だと思ったら声を出す。
決められたルールを守る。
そして、
「誰かがやるだろう」
ではなく、
「自分が見る」
と思える。
そんな人は警備に向いている。
若いかどうかだけではない。
むしろ人生経験を重ねた人だから気づける危険や、人への声のかけ方もある。
警備員は社会とのつながりを取り戻せる仕事でもある
警備業界には、さまざまな経歴の人がいる。
長く会社員だった人。
自営業だった人。
仕事を失った人。
定年後に働き始めた人。
人生の途中で一度立ち止まった人。
私も、その一人である。
警備員になることを「人生の敗北」のように感じる人もいるかもしれない。
私自身、そんな気持ちになったことがないとは言えない。
だが現場へ行けば、役割がある。
制服を着る。
配置につく。
挨拶をする。
人を安全に通す。
一日働く。
給料を得る。
明日もまた社会へ出る。
これは意外に大きい。
警備員は、人生の最終地点である必要はない。
しかし、
もう一度社会とつながる足場
にはなり得る。
そして、自分の仕事が誰かの安全につながっているとわかれば、単なる「つなぎ仕事」とも少し違って見えてくる。
警備員の求人を見るなら「どこを守る仕事なのか」を見る
警備員として働くことを考えているなら、日給だけで求人を決めないほうがいい。
交通誘導なのか。
施設警備なのか。
イベントなのか。
駐車場なのか。
日勤か夜勤か。
勤務地は遠すぎないか。
休憩はどうなっているか。
研修はあるか。
未経験でも始められるか。
シニアでも働きやすいか。
そして、
「自分は、どんな場所なら責任を持って立てそうか」
という視点で求人を見る。
第48話で書いたように、警備は現場によってまるで違う。
自分に合った現場に出会えば、同じ警備でも仕事の見え方は変わる。
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誰かが立たなければ、街は動かない
夕方。
工事が終わる。
職人たちが片づけを始める。
重機が止まる。
カラーコーンが撤去される。
そして警備員も配置を離れる。
翌朝になれば、そこを歩く人のほとんどは、昨日警備員が立っていたことなど覚えていない。
それでいい。
事故がなかったのだから。
工事は進んだ。
人々は無事に通った。
街の日常は続いた。
警備員は主役ではない。
建物を建てるわけでもない。
道路を掘るわけでもない。
しかし、
誰かが立たなければ、安全に進まない仕事がある。
だったら、胸を張って立てばいい。
今日、自分に与えられた数メートル。
その小さな持ち場を守る。
そこを通る誰かを無事に帰す。
名前など知られなくてもいい。
拍手なんかなくてもいい。
一日が終わったとき、
「今日も事故はなかった」
と言えればいい。
それが、この仕事の成果だ。
そして私は思う。
警備員とは――
社会の片隅に立ちながら、社会の日常を守っている仕事なのだ。

