
「今日は帰ったら一本書こう」
朝、家を出るときには本気でそう思っている。
現場で何かあれば、頭の中にメモする。
あの職人の一言は使える。
さっき通った老人のことを書こう。
昼休みに見上げた空もいい。
帰りの電車で構成を考えよう。
そう思っている。
ところが――。
家に帰る。
飯を食う。
横になる。
バタンキュー。
気がつけば、朝である。
また書けなかった。
書きたいことは、現場にいくらでもある
警備員をやっていると、書く材料には困らない。
むしろ、ありすぎるくらいだ。
職人。
監督。
警備員。
通行人。
子供。
老人。
猫。
工事現場。
道路。
雨。
風。
そして空。
一日立っていると、小さな出来事がいくつも目の前を通り過ぎていく。
「あ、これは書ける」
と思う。
ところが、その材料を持って帰るころには、肝心の書く人間がくたびれ果てている。
これが困る。
重労働じゃない。でも、なぜこんなに疲れるんだ
警備員は、重い資材を一日中担いでいるわけではない。
穴を掘っているわけでもない。
だから、
「立ってるだけじゃないか」
と言われれば、そう見える。
しかし朝早く起きて、電車を乗り継ぎ、遠い現場へ向かう。
現場に着けば、何時間も立つ。
歩行者を見る。
車を見る。
工事車両を見る。
周囲の変化を見る。
夏なら照り返しを浴びる。
冬なら冷たい風を受ける。
雨の日もある。
一日が終わるころには、身体の奥に鉛でも流し込まれたような疲れが残る。
帰りの電車では座った瞬間に眠る。
窓の景色など見ていない。
眠っているのか。
気を失っているのか。
自分でもよくわからない。
「休みの日に書けばいい」が、できない
だったら休日に書けばいい。
私もそう思う。
前の晩には、
「明日は朝からコーヒーを飲んで、パソコンを開こう」
と考えている。
朝になる。
疲れている。
もう少し寝る。
起きる。
何か食べる。
また横になる。
「30分だけ」
そして目を開ける。
夕方。
カーテンの向こうが薄暗くなっている。
ああ……。
今日も終わった。
腹が立つ。
誰に?
自分にだ。
「何やってるんだ、俺は」
と思う。
これを何度繰り返したかわからない。
怖いのは、警備員であることではない
警備員をやることそのものが怖いわけではない。
働かなければ食えない。
仕事なのだから、それは仕方がない。
私が怖いのは、
警備員だけで人生が終わってしまうことだ。
朝起きる。
現場へ行く。
立つ。
帰る。
寝る。
また現場へ行く。
その繰り返しの中で一年が過ぎる。
二年が過ぎる。
そして、
「本当は書きたかったんだ」
と言いながら人生が終わる。
それが怖い。
私は、ものを書きたい。
これは最近突然思いついたことではない。
ずっと昔から、自分の中にある。
若いころから、ひとりの港湾労働者が頭にいた
若いころから、気になって仕方のない人物がいる。
エリック・ホッファー。
港湾労働者として働きながら、本を読み、考え、書いた人だ。
大学の研究室にいた哲学者ではない。
肉体労働をしながら、自分の目で人間と社会を見て、自分の言葉で考え続けた。
私は若いころから、そんなホッファーに憧れていた。
もちろん、私がホッファーになれるなどと言うつもりはない。
ただ、あの生き方には昔から惹かれている。
働きながら、考える。
現場にいながら、書く。
それがいい。
ホッファーには『波止場日記』がある。
ならば私も、私が立っている場所から書けばいい。
港ではない。
道路の端だ。
工事現場だ。
カラーコーンが並び、ダンプが入り、誘導棒を握って一日が過ぎていく場所だ。
そこから見える人間を書けばいい。
私なりの「波止場日記」のようなものを。
そんなことを、ずっと心のどこかで考えている。
年を取ったからこそ、書けることもある
若いころの私は、今より体力があった。
徹夜もできた。
勢いもあった。
しかし、今の私には若いころにはなかったものもある。
失敗した。
仕事を変えた。
店もやった。
人と出会った。
人と別れた。
金に困った。
そして今、警備員として道路に立っている。
決して思い描いていた人生ではない。
しかし第44話を書きながら、私はひとつ気づいた。
昔の経験が消えてしまったわけではない。
人を見ること。
言葉を選ぶこと。
空気を読むこと。
何かを企画すること。
そして、出来事を面白がること。
全部まだ、自分の中に残っている。
だったら、それを使えばいい。
警備員として立っている現在と、それまで生きてきた時間を、一緒に書けばいい。
そう思うようになった。
書けないことまで、書いてしまえ
それでも疲れる。
書けない日は、これからもあるだろう。
いや、たぶんたくさんある。
そんな日は、以前なら、
「また何もできなかった」
と思って終わっていた。
でも最近は少し違う。
書けなかったなら、
書けなかった一日を書けばいい。
疲れて眠ったなら、その疲れを書けばいい。
現場で腹が立ったなら、それを書けばいい。
老人の「ご苦労さま」が妙に心に残ったなら、それを書けばいい。
猫を見て、
「お前は自由でいいな」
と思ったなら、それも書けばいい。
人生が思いどおりにならないなら、
思いどおりにならない人生そのものを書けばいい。
それなら、まだ材料は尽きない。
今日も一本、書けなかった
今日も本当は、別の記事を書くつもりだった。
書けなかった。
疲れていた。
ゴロゴロした。
時間が過ぎた。
「またかよ」
と思った。
それで、この文章を書いた。
「書けなかった」という文章を書いた。
なんだ。
書いてるじゃないか。
どうだ、コノヤロ!
ブルースという音楽は、勝者だけの歌ではない。
うまくいかない。
金がない。
疲れている。
それでも、まだ何かを諦めきれない。
そんな人間が歌うから、ブルースになる。
だったら私は、現場から書こう。
道路の端から。
工事現場から。
人生の波止場みたいな場所から。
今日見たものを、一行でもいいから残しておこう。
いつか振り返ったとき、
「あのころ俺は、警備員をやりながら書いていた」
と言えるように。
遠い現場へ 始発が走る
眠気を積んで 電車は揺れる
書きたい言葉は 胸にあるのに
疲れが先に ペンを眠らせるそれでも俺は まだ諦めない
制服のポケットに
明日の一行をしまって歩く
くたびれた日だからこそ、生まれる文章もある。
そう信じて、また書く。