
警備の現場へ行く。
集合時間になると、一人、また一人と警備員が集まってくる。
制服。
安全靴。
ヘルメット。
反射ベスト。
誘導棒。
会社によって多少の違いはあるが、だいたい似たような格好になる。
若い人もいる。
私のような60代もいる。
もっと年上の人もいる。
女性警備員もいる。
現場に着いて制服を着てしまえば、みんな、
「警備員」
である。
ところが私は最近、ときどき妙なことを考える。
この人、警備員になる前は何をしていたんだろう。
目の前で誘導棒を振っているこの男にも、警備服を着る前の人生があったはずだ。
休憩中に弁当を食べているあの女性にもある。
しかし、そんなことは制服のどこにも書いていない。
警備員になった瞬間、それまでの履歴書は見えなくなる。
警備員の制服を着ると、それまでの人生が見えなくなる
道路を歩いている人から見れば、私はただの警備員である。
「すみません。工事中なので、こちらからお願いします」
そう言えば、
「ああ、警備員さんね」
それで終わる。
その人は知らない。
私が広告関係の仕事をしていたことも知らない。
営業や企画をやっていたことも知らない。
DJとライブの店を経営して、失敗したことも知らない。
地方の宿泊施設で働いたことも、配送の仕事をしたことも、便利屋をやったことも知らない。
当然である。
そんなものを反射ベストに全部書いたら大変だ。
「元広告・元店主・元宿泊施設・元配送・元便利屋・現警備員」
胸から背中まで使っても足りない。
しかも車を誘導する前に、こちらの人生説明が必要になる。
誰もそんな警備員を求めていない。
現場では、
「警備」
それだけでいい。
しかし、人間までそれだけになったわけではない。
「前は何をしていたんですか?」で、その人が突然変わる
警備員同士で仕事をしていると、休憩時間などに話をすることがある。
最初は天気の話だ。
「暑いですね」
「寒いですね」
「今日は長そうですね」
警備員の会話は、だいたいこのへんから始まる。
ところが、何度か同じ現場になったりすると、少しずつ話が深くなる。
そして、ふと訊く。
「前は何をしていたんですか?」
私はこの質問が好きである。
この一言で、それまで「警備員A」だった人間が、突然、一人の人間になるからだ。
マウント女王にも「警備員になる前」があった
以前、『警備員ブルース』に「マウント女王」として書いた女性警備員がいる。
私は彼女が苦手だった。
いろいろ言ってくる。
こちらが、
「はいはい」
と思うようなこともある。
だから私の頭の中では、
「マウント女王」
だった。
ところが、ある日、二人だけで建築現場へ入った。
本当は警備員一人で足りる現場だった。
発注の都合で二人になってしまった。
車もほとんど来ない。
やることがない。
仕方がないから話をした。
そこで初めて、彼女の前職を聞いた。
保険の営業をしていたこと。
飲食関係の仕事もしていたこと。
私も自分の話をした。
広告の仕事。
店をやったこと。
失敗したこと。
すると、不思議なことが起きた。
それまで「マウント女王」だった人が、
一人の女性に戻った。
当たり前なのだ。
彼女は生まれたときから警備員だったわけではない。
警備服を着る前にも、何十年という人生があった。
私がそれを知らなかっただけだ。
警備員には「元○○」がたくさんいる
六年近く警備の現場にいると、いろいろな人に会う。
若いころからずっと警備をしてきた人もいるだろう。
しかし、中高年になってから警備へ来た人には、
「元○○」
が多い。
元会社員。
元営業。
元職人。
元飲食。
元自営業。
定年退職後の人。
地方から仕事を求めて出てきた人。
仕事がなくなって警備員になった人。
前の仕事が嫌になって警備へ来た人。
事情はそれぞれ違う。
もちろん、私は全員の過去を知っているわけではない。
むしろ知らない人のほうが圧倒的に多い。
だからこそ気になる。
今日、私の隣に立っているこの男は、
いったい、どこから流れてきたのだろう。
警備員になった理由は、履歴書の職歴欄には書かれない
履歴書には、
何年何月、株式会社○○入社。
何年何月、退社。
と書く。
しかし、本当に知りたいことは、その行間にある。
なぜ辞めたのか。
なぜ次の仕事へ行ったのか。
なぜ警備員になったのか。
会社がなくなったのかもしれない。
定年だったのかもしれない。
人間関係だったのかもしれない。
商売に失敗したのかもしれない。
家族の事情だったのかもしれない。
身体を壊したのかもしれない。
あるいは、単純に求人広告を見て、
「これならできそうだ」
と思っただけかもしれない。
それでも、その人なりの道を通って、今日この道路に立っている。
履歴書に書かれているのは職歴だ。
しかし、
人間の人生は、履歴書の行間にある。
私は最近、そんなことを思う。
私自身の履歴書も、ずいぶん妙なものになった
人のことばかり言ってはいられない。
私自身も相当である。
広告。
販促。
企画。
フリー。
店の経営。
宿泊施設。
配送。
飲食。
施設警備。
交通誘導。
便利屋まである。
一本の立派なキャリアというより、
職業の福袋みたいになっている。
若いころの私は、自分が60代になって誘導棒を持って道路に立っているとは想像もしなかった。
人生設計の中に、
「59歳より交通誘導警備開始」
などという項目はなかった。
人生設計というものは、ずいぶん勝手に書き換えられる。
しかし、今となっては、その全部が私である。
広告の私だけが本物で、警備員の私は偽物、というわけではない。
店を経営していた私も私。
店を潰した私も私。
仕事が見つからなかった私も私。
59歳で警備員になった私も私。
64歳になって、
「この先どうする」
と考えているのも私である。
「警備員」という肩書だけで人間を判断すると、何も見えない
前回、私は「警備員は底辺なのか」という記事を書いた。
そのとき改めて考えた。
職業名だけで人間の価値を判断することに、どれほど意味があるのだろう。
道路から見れば、
警備員は警備員である。
しかし、その中には、
商売を成功させた人がいるかもしれない。
失敗した人もいるかもしれない。
大企業で何十年も働いた人がいるかもしれない。
家族を支えてきた人がいるかもしれない。
何かを失った人もいるだろう。
これから何かを始めようとしている人だっている。
それらは、
制服の外からは見えない。
だから、
「警備員だから○○」
と人間まで決めつけてしまうと、その瞬間に何十年分もの人生を見落とす。
そしてこれは、警備員だけの話ではないと思う。
清掃員にもある。
タクシードライバーにもある。
コンビニの店員にもある。
マンション管理員にもある。
スーツを着た会社員にもある。
誰にでも、
制服の中の履歴書
がある。
警備員の履歴書で本当に知りたいのは「これから」だ
そして私は、過去だけでは少し物足りなくなってきた。
前は何をしていたんですか。
なぜ警備員になったんですか。
それも面白い。
しかし、もう一つ聞いてみたい。
「これから、どうするんですか?」
ずっと警備員を続けるのか。
資格を取るのか。
隊長になるのか。
施設警備へ行くのか。
別の仕事を探しているのか。
故郷へ帰るのか。
自営業を考えているのか。
年金をもらいながら少しだけ働くのか。
あるいは、
「別に何も考えていないよ」
なのか。
それだって一つの答えだ。
私は前職より、むしろこちらのほうが知りたい。
なぜなら人間は、
どこから来たかだけではなく、これからどこへ行こうとしているか
によっても見え方が変わるからだ。
警備員は、人生の終着駅なのだろうか
私自身、まだ分からない。
警備員をいつまで続けるのか。
次の仕事が決まるのか。
またマンション管理員に応募するのか。
施設管理へ行くのか。
便利屋を小さく始めるのか。
書くことが何かにつながるのか。
全部、まだ途中である。
だから私は最近、
警備員を「終着駅」ではなく、
途中駅
として見るようになった。
人によっては、ここが終着駅でもいい。
ここを気に入って、この仕事を最後まで続ける人もいる。
しかし別の人にとっては、
警備員は次へ行く途中なのかもしれない。
そしてその「途中」に、
私は今立っている。
現場には、人生の交差点がある
朝、現場へ行く。
警備員が集まる。
制服を着る。
ヘルメットをかぶる。
誘導棒を持つ。
すると、みんな同じように見える。
しかし本当は違う。
一人は会社員から来た。
一人は商売から来た。
一人は定年後に来た。
一人は何かを失って来た。
一人は次へ行くまでの間、ここにいる。
そして私も、
いくつもの仕事と失敗を通って、ここへ来た。
今日、たまたま同じ現場に配置された。
考えてみれば、不思議なことである。
それぞれ別の道を何十年も歩いてきた人間が、
ある朝、
同じ道路に立つ。
そして夕方になれば、
「お疲れさまでした」
と言って、
また別々の方向へ帰っていく。
警備員が誘導しているのは、
車や歩行者だけではないのかもしれない。
現場そのものが、
いろいろな人生が一瞬だけ交わる交差点
なのだ。
いつか「警備員漂流記」を書いてみたい
最近、私は考えている。
この人たちの話を、もっと聞いてみたい。
警備員になる前、
何をしていたのか。
なぜ警備員になったのか。
何歳でここへ来たのか。
何を失ったのか。
何を手に入れたのか。
そして、
この先、どこへ行くのか。
有名人でなくていい。
成功者でなくていい。
むしろ、何者でもないように見える人の話を聞いてみたい。
一人ずつ。
一話ずつ。
人物図鑑のように書いてみたい。
名前は、もう考えている。
『警備員漂流記』。
まだ先の話である。
まずは『警備員ブルース』を100話まで書く。
しかし、その先で、
私一人の話から、
私が現場で出会った人たちへ、
少しカメラを向けてみたい。
制服の中には、何十年分もの人生が入っている
今日も警備員が道路に立っている。
車の中から見れば、
ただの警備員だ。
歩行者から見ても、
ただの警備員だろう。
しかし、
その人が昨日まで何をしていたのか。
何を失ったのか。
誰を愛したのか。
何に失敗したのか。
なぜ今日ここに立っているのか。
明日どこへ行こうとしているのか。
そんなことは、誰にも見えない。
制服を着れば、
過去は隠れる。
だが、
消えるわけではない。
警備員の制服の中には、
一人につき、
何十年分もの履歴書が入っている。
だから今度、現場で少し話せる警備員に会ったら、
聞いてみようと思う。
「前は、何をしていたんですか?」
そして、できればもう一つ。
「これから、何をするんですか?」
その二つの質問の間に、
その人の人生がある。
そして今日もまた、
そんな人生を何人分も乗せて、
警備員たちは道路に立っている。
