
夜中の2時、男は新聞を切り抜く
世の中には、いろんな仕事がある。
私はかつて、夜中の1時か2時に起きて、新聞を切り抜く仕事をしていた。
新聞配達ではなく、また新聞を読む仕事でもない。
ただ新聞の記事をを切り抜くのである。
しかも、ただ切り抜けばいいというものではない。企業の社会的責任、いわゆるCSRに関係する記事を、あらゆる分野から探し出す仕事だった。
自然、環境、健康、人間の精神、社会問題。
世の中には、実にさまざまな問題がある。
そして企業には、社会に対して責任がある。
まことに結構な話である。
ところが、当時の私はどうだったか。
自分の店を潰し、自分の生活をどうするかで精いっぱいだった。
企業の社会的責任を調べながら、私は自分の人生の責任をどう取るか考えていたのである。
なんとも皮肉な話じゃないか。
だが、この夜中の新聞切り抜きが、のちに思いもよらぬ方向へ私を連れていくことになる。
人生というのは、何がどうつながるのか、さっぱりわからない。
店を潰した男の再就職
私はかつて、東京・荻窪でDJ&ライブバーを経営していた。
音楽を流し、ライブを企画し、人を集める。
自分で考え、自分で決め、自分で実行する。
店の経営は苦しかったが、企画を考えることは好きだった。
しかし、店は5年で閉店した。
平たく言えば、事業に失敗したのである。
その後、私は新宿の百貨店の物流の仕事に就いた。
朝9時から夕方6時まで。
決められた時間に出勤し、決められた仕事をする。
店を経営していた頃とは、生活が一変した。
だからといって、物流の仕事を見下していたわけではない。
仕事がある。それはありがたいことだった。
ただ、私の頭の中には、いつも何かが引っかかっていた。
このままでいいのか。
もう一度、自分で仕事をつくれないだろうか。
店は潰した。
しかし、企画を考える頭まで潰れたわけではない。
もっとも、その頭で店を潰したのだから、あまり信用できる頭ではないのだが。
それでも、何かやりたかった。
かつて紹介した友人に、今度は私が仕事を頼んだ
そこで、ある友人の編集者に仕事を頼み込んだ。
大手の印刷会社の編集で働いていた男である。
実は、かつて私がプランナーで活躍していたころ、失業した彼を紹介し、入った友人だった。
人生は、なかなか面白い。
以前は私が彼に仕事の縁をつくった。
今度は私が、彼に仕事を頼む番になった。
立場が逆転したのである。
別に、昔の恩を返してもらおうと思ったわけではない。
ただ、何とか仕事をつくるきっかけが欲しかった。
もう一度、企画や編集に関係する仕事に触れたかった。
そこで得たのが、新聞記事を集める仕事だった。
報酬は月5万円。
昼間の物流の仕事を終え、帰宅する。
飯を食う。
酒を飲む。
寝る。
そして、夜中の1時か2時に起きる。
新聞を広げる。
関係する記事を探す。
切り抜く。それをコピー用紙に張り付け、整理する。
世間が寝静まった頃、私は一人、新聞の山と向き合っていた。
月5万円のために。
いや、月5万円だけのためではなかった。
何かが始まるきっかけが欲しかったのである。
私がつくった「地球経済新聞」
当時、企業の社会的責任、CSRという考え方が注目されていた。
現在のSDGsにも通じる問題意識である。
大手印刷会社も、企業PRの分野でCSRを積極的に取り上げていた。
私の仕事は、そうした企業活動に関係する記事を集めることだった。
しかし、私は単に「CSR」という言葉が入った記事を集めていたわけではなく、関連する記事を集めていた。
自然や環境の問題。
人間の健康。
精神の問題。
社会の仕組み。
一見すると企業活動とは直接関係がなさそうな記事にも、目を向けた。
面白い記事を探す。
これは、私にとって単なる作業ではなかった。
世の中の出来事を、いつもとは違う角度から眺める仕事だった。
たしか、納品するときには、集めた記事にこんな題名をつけていた。
「地球経済新聞」
我ながら、大きく出たものである。
夜中の2時に新聞を切り抜いている男が、地球経済を語っている。
店を潰した男が、地球の未来を考えている。
まず自分の未来を何とかしろ、と言いたくなる。
しかし、私は真剣だった。
企業の社会的責任というテーマを通じて、世の中を別の角度から見ることができた。
物事を一つの業界、一つの常識、一つの見方だけで考えない。
違うもの同士を結びつける。
そこに、新しい企画の種がある。
私は、そんなことを感じ始めていた。
月5万円の仕事は、一年で終わった
しかし、この仕事は長く続かなかった。
約一年後、会社の事情で終了したのである。
あっけない。
また一つ、仕事がなくなった。
自分で始めた店は潰れた。
ようやく手にした副業も終わった。
どうも私の人生は、仕事が長続きしない。
いや、正確には、長続きさせたい仕事ほど、どこかへ行ってしまう。
困ったものである。
だが、不思議なことに、新聞切り抜きの仕事は、私の中に何かを残していた。
世の中を横断して見ること。
違う分野を結びつけること。
人が見過ごしているものに価値を見つけること。
それは、かつて広告やマーケティングの仕事でやっていたことでもあった。
仕事そのものは終わった。
しかし、仕事の中で考えたことまでは終わらなかった。
弱者の戦略を学んだ
その後、私はランチェスター経営のコンサルタントのセミナーに参加した。
中小企業や個人事業者の経営について、ランチェスター戦略を学んだのである。
いわゆる「弱者の戦略」だ。
大企業と同じことをやっても、小さな事業者はなかなか勝てない。
ならば、地域を絞る。
分野を絞る。
他人と違うことをやる。
自分にしかできないものを探す。
私には、その考え方が面白かった。
もっとも、商売に失敗した男が経営戦略を勉強しているのだから、これも少々おかしな光景ではある。
最初から勉強しておけよ。
そう言われれば、その通りである。
だが、人間というのは、失敗して初めて身にしみることがある。
そして私は、ふと故郷のことを考え始めた。
青森県十和田市。
太素塚の裏で育った私の故郷である。
故郷には、何もないと思っていた
十和田は、田舎である。
東京から見れば、遠い。
華やかな大都会とは違う。
だが、調べてみると、面白い歴史がある。
かつて三本木原と呼ばれた土地。
幕末、新渡戸傳が開拓に取り組んだ土地である。
厳しい自然条件の中、新しい土地を切り開こうとした人々がいた。
そして、新渡戸傳の孫には、新渡戸稲造がいる。
『武士道』を英語で著し、日本の精神文化を世界に伝えた人物だ。
三本木原。
新渡戸傳。
新渡戸稲造。
十和田。
世界。
頭の中で、何かがつながり始めた。
田舎だから世界と無縁なのではない。
むしろ、一つの土地を深く掘り下げれば、世界につながるものが出てくるのではないか。
そう考えると、故郷がまるで違って見え始めた。
何もないと思っていた土地には、まだ掘り起こされていない物語があった。
三上寛を十和田に呼ぶ
私は、故郷の開拓史を、これまでとは違う形で表現するイベントを考え始めた。
歴史の講演会だけではない。
音楽を使いたい。
言葉を使いたい。
人間の生きざまを表現したい。
そこで思い浮かんだのが、三上寛さんだった。
同じ青森県出身。
しかし、三上さんは津軽の人である。
十和田のある南部地方とは、言葉も風習も違う。
同じ青森県といっても、決して一色ではない。
そして三上寛の歌には、狭い土地から世界へ突き抜けていくような力がある。
田舎の歌でありながら、田舎だけで終わらない。
私は、そこに惹かれた。
2009年、三上寛さんを招き、ライブシンポジウム「開拓魂」を企画した。
十和田市の地元紙『文化新聞』の編集長でオーナーにも相談した。
彼はは、かつて三上寛さんを十和田に呼んでライブを開催したことがあるという。
私の企画も後援していただき、当日のライブでは少し話もしていただいた。
その場では、三上寛さんと縁の深い寺山修司が、かつて十和田に撮影所をつくろうとしたという話まで出てきた。
そんな話があったのか。
驚いた。
故郷を掘り返してみると、知らなかった話が次々に出てくる。
新渡戸傳が出てくる。
新渡戸稲造が出てくる。
三上寛が出てくる。
寺山修司まで出てくる。
なんだ、十和田。
何もないどころじゃないか。
掘れば出てくるものだ。
世界一小さなロックフェスティバル
翌2010年、私はさらに企画を進めた。
今度はロックフェスティバルである。
店を潰し、物流で働き、夜中に新聞を切り抜いていた男が、故郷でロックフェスティバルを企画している。
いったい、どういう人生なのだろう。
普通なら、もっと堅実な道を探すところではないか。
しかし、私は昔からこういうことを考えるのが好きだった。
誰もやっていないこと。
一見、関係のないものを結びつけること。
土地の歴史に、現代の音楽をぶつけること。
田舎から世界を考えること。
それが、私の企画だった。
もちろん、イベントを開催したからといって、生活が一変したわけではない。
大成功して大金持ちになったわけでもない。
その後も、私の人生には紆余曲折が続いた。
しかし、一つだけ確かなことがある。
私は、仕事を失ったあとも、何かをつくろうとしていた。
それだけは、今になっても消えない事実である。
そして今、私は警備員をしている
あれから年月が過ぎた。
私は64歳になった。
現在の仕事は、警備員である。
道路に立ち、車両を誘導し、歩行者の安全を確認する。
暑い日もある。
雨の日もある。
現場が突然変更になる日もある。
休みの日には疲れて寝込んでしまうこともある。
もう辞めたい。
何度そう思ったかわからない。
そして、これからどうやって生きていけばいいのか、考える。
しかし、こうして昔のことを振り返ってみると、少し不思議な気持ちになる。
店を潰したあと、私は夜中に新聞を切り抜いていた。
仕事を頼み込み、月5万円を稼いだ。
その仕事も終わった。
ランチェスター戦略を学んだ。
故郷の歴史を掘り返した。
三上寛さんを呼んだ。
ロックフェスティバルまでやった。
何とも落ち着きのない人生である。
そして、今度は警備員になって、ブログを書いている。
『警備員ブルース』。
気がつけば、93話になった。
またしても、何かをつくろうとしているのだ。
再起は、立派な決意から始まるとは限らない
再起というと、何か大きな決意をして、颯爽と立ち上がる姿を想像する。
しかし、私の場合は違った。
店を潰したあと、まず物流で働いた。
そして、夜中に新聞を切り抜いた。
眠い。
疲れる。
酒を飲んで寝たあと、また起きる。
決して格好のいい姿ではない。
それでも、何かが始まるきっかけを探していた。
再起とは、案外そんなものかもしれない。
立派な計画があるわけではない。
成功する保証もない。
ただ、今のままでは終わりたくない。
そう思って、小さな仕事を一つ始める。
その仕事が終わっても、そこで得た何かが次につながることがある。
もちろん、つながらないことだってある。
私の人生には、つながらなかった仕事も、失敗した企画も山ほどある。
だから、再起すれば必ず成功する、などとは言わない。
そんなことを言ったら、私自身が反証になってしまう。
だが、失敗した人生からは、何も生まれないのだろうか。
私は、そうは思わない。
夜中の新聞切り抜きから、十和田の「開拓魂」へ。
そして今、警備員の制服を着ながら、また文章を書いている。
何かをつくりたいという気持ちだけは、どうやら死なないらしい。
さて。
今度は、何を掘り出そうか。
故郷を掘れば、歴史が出てきた。
新聞を掘れば、企画の種が出てきた。
警備員を掘れば、いろんな人間の人生が出てくる。
だったら、自分の人生も、もう少し掘ってみようではないか。
もっとも、これ以上掘ったら、借金やら失敗やら、ろくでもないものまで出てきそうである。
それでもいい。
人生、まだ発掘中。
いや、違う。
人生、まだ開拓中だ。
チャンチャン。
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