
警備員は、下流。という言葉をよく見かける。
たしかに、人生の下流と言えるようなことが起きたりする。。
その川の上流から、いろんなものが流れてくるのだ。
会社を辞めた人。
商売に失敗した人。
夢を捨てきれない人。
家族と別れた人。
元カメラマンもいれば、元デザイナーもいる。経営者だった人もいる。
そして、ときには宗教まで流れてくる。
まあ、私もその下流に立っている、一人の警備員である。
警備員仲間から渡された宗教の小冊子
以前、一緒に働いていた女性警備員に、「パンフ姉さん」とでも呼びたい人がいた。
彼女は、ある宗教団体の小冊子を持ってきて、ときどき警備員仲間に無料で配っていた。
私は、それを特に嫌だとは思わなかった。
なぜなら、その宗教を母が好きだったからだ。
私自身も中学生のころ、母の影響でその団体の錬成合宿に参加したことがある。
だから、小冊子を渡されると、
「ああ、懐かしいな」
という気持ちさえあった。
母はもういない。
小さな冊子を見ながら、宗教よりも母親を思い出していたのかもしれない。
そして別の警備員から、別の宗教へ
それから何年かして、今度は別のものが流れてきた。
きっかけは、女性警備員の「ダンシングプリン」だった。
彼女とは何度も同じ現場に入った。
話していて楽しい。
お互い離婚を経験していることもあって、どこか似たところを感じることもあった。
そのプリンから、ある宗教団体を紹介された。
私は以前にも、その団体に関わったことがあった。
だから、まったく知らない世界ではなかった。
人生を何とか変えたい。
警備員をいつまでも続けていたくない。
そんな気持ちもあって、もう一度、少し勉強してみようと思った。
本を買い、宗教講義を受け、会員にも誘われた
ところが、今回はパンフ姉さんのときとは違った。
本を買った。
講義も受けた。
支払ったお金は、私にとって決して小さくない金額になった。
さらに、ある日、災害時のボランティア活動などを紹介する映像を見せられた。
そして、活動を支援するような会員にならないか、と勧められた。
そのとき、私は少し立ち止まった。
私はいったい、ここに何を求めて来たのだろう。
宗教なのか。
人生を変える方法なのか。
それとも、プリンとのつながりだったのか。
警備員と宗教――弱っているときほど何かを求める
警備員の仕事をしていると、疲れる。
暑い日も寒い日も外に立つ。
現場によっては遠い。休憩も思うように取れない。
給料だって、それほど高くない。
そして家に帰れば、一人。
そんな生活を続けていると、
「この人生を何とかしたい」
と思うことがある。
そのとき、「あなたは変われる」「人生はもっと良くなる」と言われれば、心が動くこともある。
宗教に限った話ではない。
自己啓発でも、投資でも、起業塾でも同じかもしれない。
人間は、出口が見えないときほど、出口らしきものを探す。
私もそうだった。
人生の下流には、いろんなものが流れてくる
警備員は、人生の下流だ。
そう書くと、警備員を馬鹿にしているように聞こえるかもしれない。
違う。そこにはある種の可能性もある。
下流だからこそ、いろんな人生が流れ着くのだ。
成功した人もいる。
失敗した人もいる。
家族を失った人もいる。
まだ夢を捨てていない人もいる。
恋も流れてくる。
宗教も流れてくる。
そして私自身もまた、長い人生を流されて、ここにいる。
ただし――。
流れてきたものを、全部拾う必要はない。
何を拾い、何を手放すのか。
最後に決めるのは、自分だ。
今日も私は、その人生の下流で誘導棒を振っている。
