
警備員にとって、公園は思った以上に基調で大切な場所である。
子供たちが遊ぶ場所。
犬を散歩させる場所。
老人が日向ぼっこをする場所。
もちろん、それが一般的な公園の用途だ。
だが、街中の工事現場で働く警備員にとって、公園にはもう一つの顔がある。
そこが、我らの貴重な休憩所なのだ。
警備員には休憩室がない現場も多い
建設現場なら、作業員用の詰所や休憩所が用意されていることがある。
ところが道路工事や、特に電気工事など、街中を転々とする警備員の場合、事情が違う。
朝、現場に集合する。
誘導棒を持って配置につく。
昼になった。
「じゃあ、休憩行ってきてください」
そう言われる。
さて、どこへ行く?
休憩室などない。
そこでスマホの地図を開く。
「近くに公園はないか?」
警備員にとって、現場周辺の公園探しは重要な仕事なのである。
ベンチ一つで「当たり」の公園
公園を見つけたからといって、安心はできない。
まず欲しいのがベンチ。
これがあるだけでありがたい。
朝から立ち続けた脚と腰を、ようやく休ませられる。
さらに木陰があれば、夏場は大当たり。
そして、何よりありがたいのが、
トイレである。
ベンチあり。
木陰あり。
トイレあり。
この三つが揃った公園を見つけると、警備員にとっては、ちょっとした高級ラウンジである。
(公園がない!トイレがない公園しか、近くにない現場の場合はどうしよう??→後ほど( ;∀;))
もちろん冷房はない。
ソファもない。
コーヒーを運んでくれる人もいない。
それでもベンチがあれば座れる。
トイレに行ける。
誰にも「そこ邪魔だよ」と言われない。
それだけで十分なのだ。
(ベンチが少ない場合、ない場合は、どこかへ座る)
真夏の公園は天国とは限らない
ただし、真夏になると事情が変わる。
気温35度。
照り返しの強いアスファルトの上で何時間も立ったあと、公園へ逃げ込む。
ところがベンチが炎天下。
座った瞬間、
熱い!
これでは休憩にならない。
警備員は木陰を探して移動する。
わずか一本の木がつくる影が、その日の命綱になることさえある。
冬なら逆だ。
今度は日なたを探す。
夏は影を追い、冬は太陽を追う。
警備員は、意外と季節に敏感な仕事なのだ。
公園に座ると、街が違って見える
弁当やパンを食べながら、公園を眺める。
目の前を子供が走っていく。
母親が追いかける。
犬を連れた老人が通る。
鳩が寄ってくる。
猫が植え込みの向こうから、こちらを見ていることもある。
制服姿で弁当を食べている私を、
「何だ、こいつ」
とでも思っているのだろうか。
こちらも思う。
「お前はいいな。好きなところへ行けて」
現場では、決められた場所から簡単には動けない。
だが猫には隊長もいない。
現場監督もいない。
上番も下番もない。
腹が減ったら歩き出し、眠くなったら寝る。
自由なのは、どっちだ。
そんなくだらないことを考えながら、私は残りの弁当を食べる。
子供は警備員をよく見ている
公園には子供もいる。
子供というのは面白い。
大人なら素通りする警備員を、じっと見ている。
赤く光る誘導棒が珍しいのだろう。
工事現場の横で、
「何してるの?」
と聞かれることもある。
こちらが手を振ると、手を振り返してくれる子もいる。
朝から通行人に文句を言われ、暑さにやられ、疲れていても、
子供に「バイバイ」と言われるだけで、少し救われたりする。
警備員という仕事は不思議だ。
街の人たちを見ている仕事なのだが、
実は、こちらも街の人たちから見られている。
公園は警備員が「一人の人間」に戻る場所
休憩終了。
立ち上がる。
弁当のゴミを袋に入れる。
ヘルメット、帽子をかぶり直す。
そして、また現場へ戻る。
誘導棒を握れば、再び警備員だ。
たった一時間前後。
いや、現場によってはもっと短い。
それでも公園のベンチに座っている間だけは、警備員ではなく、一人の人間に戻ったような気がすることがある。
猫がいる。
子供がいる。
犬が歩いている。
老人が日なたで座っている。
そんな何でもない街の日常の片隅で、我々警備員も弁当を食べ、汗を拭き、腰を伸ばしている。
立派な休憩室なんかなくてもいい。
ベンチが一つあればいい。
できれば木陰も欲しい。
そして、トイレがあれば文句なし。
今日もどこかの公園で、制服姿の警備員が一人、ベンチに座っている。
もし見かけても、
「サボっている」
なんて思わないでほしい。
もうすぐ彼は立ち上がる。
そしてまた、街の片隅で誘導棒を振り始めるのだから。
公園。
そこは子供たちの遊び場であり、老人たちの憩いの場であり、犬の散歩道であり、猫の縄張りでもある。
そして我ら警備員にとっては――
今日を最後まで働くための、大切な休憩所なのである。
