
失敗者としての警備員
事業に失敗しての末路として警備員をやっている人は、そこそこいると思う
現に私がよく通っていた人気の居酒屋のオーナー店主も
厨房にいた奥さんが亡くなり、店が動かなくなって閉店後、
施設警備員になった姿をどこかの酒場で見たことがある。
実際私も、警備員になるずっと前、店をやっていた。
DJライブバー。
酒を出して、音楽を流して、ときどきライブをやる。
自分で企画して、自分で店をつくって、自分で客を呼ぶ。
今考えると、ずいぶん遠いところまで来た。
あの頃の私は、夜の店にいた。
今の私は、朝っぱらから道路に立っている。
手に持っているものも違う。
昔は酒のグラス。
今は誘導棒だ。
赤く光る。
ピカピカ。
右へ振る。
左へ振る。
「お願いしまーす!」
まったく、人生というものは、どこで曲がるのかわからない。
そして私の人生が大きく曲がった場所をたどっていくと、
やっぱり、あの店にたどり着く。
DJライブバーの経営に失敗した
店を始めたとき、失敗するつもりなんかなかった。
当たり前だ。
「よーし、店を潰すぞ!」
なんて開業するバカはいない。
繁盛させようと思っていた。
音楽が好きだった。
人が集まる場所をつくりたかった。
自分の企画で勝負したかった。
広告や販売促進の仕事もしてきた。
企画なら、できる。
集客だって考えられる。
私は、どこかでそう思っていた。
ところが、店というものは企画だけでは続かない。
家賃がある。
仕入れがある。
光熱費がある。
酒代がある。
毎月毎月、金が出ていく。
客が来ようが来まいが、
家賃は、
「今月はお客さん少なかったみたいですね。じゃあ半額で」
などとは言ってくれない。
きっちり来る。怖いくらい、きっちり来る。
そして売上は、
怖いくらい、きっちり来ない。
たまに多い時もある、が、サラリーマンのように固定給とはいかない。
飲食店経営で「もう少し頑張れば」が危険になる
それでも私は続けた。
もう少し。
あと少し。
来月になれば。
このイベントが当たれば。
この企画なら客が来る。
春になれば。
夏になれば。
年末になれば。
年が明ければ。
経営が苦しくなると、「もう少し」という言葉がやたら増える。
そして、その「もう少し」が積み重なっていく。
今なら思う。
もっと早く撤退していたらどうだったんだろう。
店を閉めることを「敗北」だと思わず、家族と生活を守るための経営判断だと思えていたら。
違う人生があったんじゃないか。
もちろん、わからない。
人生には、
「あのときAではなくBを選んでいたら」
という実験はできない。
人生は一発勝負だ。
やり直しボタンもない。
セーブポイントもない。
ゲームよりひどい。
店の廃業だけでは終わらなかった
結局、店は廃業した。
それだけなら、
「商売に失敗しました」
で終わる話だったのかもしれない。
だが、私の場合は終わらなかった。
店の経営不振。
金の問題。
生活の問題。
夫婦の問題。
いろいろなものが絡み合って、
私は離婚した。
私は、自分の離婚の原因をたどっていけば、
すべて、あの店の経営不振と廃業に行き着くと思っている。
もちろん、離婚なんてものは、本当は一つの原因だけで説明できるものではないのかもしれない。
夫婦のことだから、私だけの言い分で決めつけることもできない。
それでも、
私自身の人生として振り返れば、あの店の失敗が大きな分岐点だった。
これは否定できない。
経営失敗で本当に失ったものは金ではなかった
商売に失敗すると、金を失う。
これはわかりやすい。
通帳を見ればわかる。
数字が減る。
場合によっては借金が残る。
ところが、あとになってわかる。
失ったものは、それだけじゃない。
時間。
信用。
自信。
生活。
そして、
人。
私の場合、最大のそれは家族だった。
店を失ったことは、もう仕方がないと思える。
金を失ったことも、いまさらどうしようもない。
「あの商売は失敗だった」
そう認めることもできる。
でも、
家族を失ったことについてだけは、
「いい経験になりました」
なんて言えない。
そんなきれいな話にはできない。
50代の再就職で、最後に残った仕事が警備員だった
それから何年もたった。
私はいろいろな仕事をした。
地方の宿泊施設で働いた。
配送もやった。
飲食もやった。
仕事を探した。
辞めた仕事もある。
辞めざるを得なかった仕事もある。
うまくいかなかった仕事もある。
そして50代の終わり。
なかなか仕事が見つからなくなった。
履歴書を書いても、
面接に行っても、
人生経験という立派そうな言葉が、
たいして役に立たなくなった。
広告。
販促。
企画。
店舗経営。
ホテル。
そんな職歴を並べても、
「で、あなたは今、何ができますか?」
と社会に聞かれているような気がした。
そして最後のほうまで残っていた仕事が、
警備員だった。
59歳で警備員になった私が道路で考えること
59歳で警備員になった。
ヘルメットをかぶる。
制服を着る。
安全靴を履く。
誘導棒を持つ。
道路に立つ。
「歩行者通りまーす!」
「車両出まーす!」
「少々お待ちくださーい!」
DJライブバーの店主だった男が、
いつの間にか道路で車を止めている。
おい。
ずいぶん遠いところへ来たな。
たまに自分で笑いたくなる。
しかし、長い現場では笑ってばかりもいられない。
立っている時間が長い。
暇な時間もある。
そんなとき、人間というものは余計なことを考える。
私は、ときどき昔のことを思い出す。
あの店。
カウンター。
酒。
客。
DJ。
ライブ。
流れていた音楽。
そして、
家族。
「あのとき店をやらなければ」と今でも考える
もし、あの店をやっていなかったら。
もし、もっと早く閉めていたら。
もし、経営が悪くなったとき、意地を張らなかったら。
もし、家族を守ることを最優先していたら。
私は今、ここで誘導棒を振っていただろうか。
わからない。
わからないから困る。
答えが出ない。
答えが出ないから、
何年たっても、ときどき考える。
これが後悔というものなのだろう。
過去を反省するだけなら、一度考えればいい。
後悔は違う。
何度も戻ってくる。
忘れたころに、
「おーい」
とやって来る。
呼んでない。
来なくていい。
それでも来る。
しつこい客だ。
警備員になった人生を「失敗」で終わらせたくない
私は、警備員になったことを美談にするつもりはない。
「すべての失敗には意味がありました」
なんてことも言えるわけがない。
意味のない失敗だってあるだろう。
意味あるだろうが、それはバカな意味でしかない。失敗は失敗なのだ。
しなくていい苦労もある。
避けられた失敗もある。
私の店だって、もっと違うやり方があったかもしれない。
離婚だって、避けられたのかもしれない。
だから、
失敗してよかったとは思わない。
よくなかった。今でも後悔している何度も何度も。
それはそれでいい。よくはないが、
ただし。
一つだけ思うことがある。
失敗した人生とは、
終わった人生ではない。
私はまだ生きている。生き続けなければならない。
だったら、
続きをやるしかない。
何を!だ。人生だよ。ちくしょう!
64歳の警備員にも人生の続きはある
私はいま64歳だ。
もうすぐ65歳になる。
若いとは言えない。
「これから人生が始まります!」
なんて言ったら、
「いやいや、だいぶ進んでますよ」
と突っ込まれる年齢だ。
そのとおりだ。
だいぶ進んだ。
ずいぶん失敗もした。
金もない。
立派な肩書もない。
朝になれば警備服を着て現場へ行く。
嫌になる日もある。
「なんで俺……」
いや、
「なんで私は、ここにいるんだ」
と思う日もある。
でも、ここが終点だとは、まだ決まっていない。
警備員をやりながら文章を書くこともできる。
失敗した商売について書くこともできる。
家族を失った後悔を書くこともできる。
カッコ悪い自分を書くこともできる。
だったら書こう。
少なくとも、それくらいはできる。
警備員になった男の人生を、私は書いていく
昔、店では音楽が鳴っていた。
人が笑っていた。
酒を飲んでいた。
私は店主だった。
家に帰れば、
家族がいた。
あの頃の私は、
それがずっと続くような気がしていた。
続かなかった。
店はなくなった。
家族も離れていった。
そして長い時間がたって、
私は道路の端に立っている。
赤い誘導棒を持っている。
車が来る。
私は腕を伸ばす。
止める。
車が止まる。
歩行者が渡る。
頭を下げる。
「ありがとうございます」
また車が来る。
また止める。
人生も、
こんなふうに止められたらよかったのにと思う。
あのとき。
店の経営が危なくなった、あのあたりで。
赤い誘導棒を持った今の私が、
昔の私の前に飛び出して、
両手を広げて、
止めてやればよかった。
「おい、待て。そっちへ行くな」
と。
だが、
そんな警備員はいなかった。
私はそのまま進んだ。
失敗した。
いろんなものを失った。
そして、
ここまで来た。
だから、もう過去は誘導できない。
誘導できるとすれば、
これから先だけだ。
私は今日も道路に立つ。
誘導棒を握る。
そして、たぶんまた、
昔のことを思い出す。
後悔は消えない。
消さなくてもいいのかもしれない。
ただ、
まだ人生が残っている。
だったら私は、
残っているほうを誘導する。
さて。
こっちでいいのか。
そっちなのか。
それはまだ、
私にもわからない。
とりあえず前へどうぞ。

