
警備員をやっていると、いろいろな人に出会う。
怒鳴る人。
何もしない人。
マウントを取る人。
おしゃべりな人。
そして、ごくまれに、「この人は本物だ」と思わせる人に出会う。
私は、その人を勝手に「ミスター完璧」と呼んでいる。
英語の「ミスターパーフェクト」ではない。
なぜか、日本語で「ミスター完璧」と呼びたくなる人なのだ。
その日、私はある工事現場に配置された。
現場へ着くと、隊長が朝礼を始めた。
最初の一言で、「あれ?」と思った。
話し方が違う。
ゆっくり。
落ち着いている。
声を張り上げない。
しかし、よく通る。
聞いている全員が自然に耳を傾けてしまう。
命令口調ではない。
「お願いします。」
「ありがとうございます。」
「気を付けていきましょう。」
言葉が柔らかい。
ところが、不思議なことに現場はピリッと締まる。
これが本当のリーダーなのかと思った。
現場が始まると、その凄さはさらに分かった。
カラーコーン一本置くにも理由がある。
コーンバー一本掛けるにも意味がある。
歩行者の流れ。
自転車の動き。
大型車が曲がる角度。
工事作業員の作業スペース。
すべてを見ながら、配置を決めていく。
まるで将棋を指しているようだった。
しかも、自分だけが動くのではない。
隊員一人ひとりに、
「こちらをお願いできますか。」
「少し前へ出てもらえますか。」
「ありがとうございます。」
その一言一言が実に気持ちいい。
命令されている感じがしない。
自然と「はい。」と言いたくなる。
私は広告代理店で十年以上働いた。
営業もいた。
管理職もいた。
店を経営したこともある。
サービス業にも長く関わってきた。
それでも、この隊長ほど人への接し方が上手な人は、そう多くなかった。
何より驚いたのは、一般の人への対応だった。
工事現場では、
「通れないの?」
「急いでるんだけど。」
「何で止めるんだ。」
そんな言葉を毎日のように受ける。
それでも隊長は表情を変えない。
笑顔を崩さない。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」
「あと30秒ほどでご案内できます。」
「ありがとうございます。」
丁寧である。
しかし弱々しくない。
優しい。
しかし曖昧でもない。
言うべきことは、きちんと伝える。
だから相手も納得してしまう。

私はその姿を見ながら思った。
これはただの警備員ではない。
一流のサービスマンだ。
ホテルでも。
百貨店でも。
航空会社でも。
高級レストランでも。
どこへ行っても通用する人だろう。
いや、むしろそういう仕事より、この工事現場だからこそ、この人の価値が際立って見えた。
土埃が舞う。
重機が動く。
クラクションが鳴る。
暑さで誰もがイライラしている。
そんな荒々しい現場の空気を、この人はたった一人で和らげてしまう。
私は初めて見た。
警備という仕事にも、ここまで極めた人がいることを。
技術だけではない。
知識だけでもない。
動作。
立ち姿。
歩き方。
話し方。
目線。
笑顔。
表情。
気配り。
すべてが自然だった。
決して格好をつけているわけではない。
だから余計に美しかった。
私は思う。
世の中には、どんな仕事にも卓越した人がいる。
華やかな職業だけではない。
スポットライトを浴びる仕事だけでもない。
誰も見ていない場所で、一流の仕事をしている人は確かに存在する。
警備という仕事を始めてから、私は「人生の吹きだまり」のような現場を何度も見てきた。
だからこそ、このミスター完璧との出会いは衝撃だった。
「こんな人がいるんだ。」
素直にそう思った。
もちろん、私は警備を一生続けたいとは思っていない。
できれば、別の仕事へ進みたい。
文章を書き、企画を考え、自分の人生をもう一度動かしたい。
その気持ちは変わらない。
それでも、この人を見た日だけは少しだけ思った。
「もう少し頑張ってみるか。」
そんな気持ちにさせる人は、人生でそう何人もいるものではない。
私はその日、一人の警備員ではなく、一人の職業人に出会った。
だから今日も私は、心の中でこう呼んでいる。
「ミスター完璧」。
この名前以上に、あの人にふさわしい呼び名を、私はまだ知らない。
