
マンション管理員の面接に落ちた、64歳の私。
警備員から別の仕事へ移ろうと思い、履歴書を書き、スーツを着て面接へ行った。
そして不採用。
こういうとき、人間は弱気になる。
「やっぱり、この歳では無理なのか」
「警備員を続けるしかないのか」
そんなことを考えていたら、突然、昔のことを思い出した。
そういえば私、便利屋をやったことがある。
それも、
「老後の小遣い稼ぎに、ちょっとやってみました」
などという優雅な話ではない。
十年以上前、店を潰したあとだった。
仕事を転々として、変な出来事にも巻き込まれ、最後には金がほとんどなくなった。
財布の中ではない。
生活そのものに金がなかった。
今月の家賃が払えない。
そこで私は、
残金5000円ほどから便利屋を始めた。
今回は「警備員からの転職」の途中で、少し昔へ戻ってみたい。
あのとき私は、就職先を探したのではない。
仕事そのものを作った。
店を潰したあと、私は仕事を転々としていた
DJとライブの店を経営していた。
失敗した。
店を閉めた。
そこから、私の仕事はずいぶん散らかった。
百貨物流。
事務職。
街頭キャンペーン。
ほかにも、いろいろやった。
お笑いライブの裏方のような仕事までした。
今振り返ると、
「職歴」
というより、
漂流記
である。
あちらへ行き、こちらへ行き、その場その場で金を稼いだ。
そして、その途中で詐欺師のような人間にも出会った。
細かく書けば、それだけで一話になりそうな変な出来事もいくつか起きた。
人生というものは、金がなくなってくると、なぜか登場人物まで怪しくなってくる。
そして、とうとう私は追い詰められた。
家賃が払えない。すぐ現金を稼ぐ仕事が必要だった
金がない。
本当にない。
家賃の支払いが迫っている。
しかし給料日まで待てない。
仮に今から新しい会社へ応募して、
書類選考。
面接。
採用。
勤務開始。
そして給料日。
そんな悠長なことをやっていたら、
その前に家賃が落ちる。
必要なのは「仕事」ではなかった。
正確には、
すぐに現金になる仕事
だった。
ネットで調べた。
何かないか。
自分でできて、すぐ始められて、客から直接代金をもらえる仕事。
そこで出てきたのが、
便利屋
だった。
便利屋。
何でも屋。
困りごとを引き受けて金をもらう。
資格も技術も資金もほとんどない私には、それくらいしか思いつかなかった。
しかし、一つだけ、
「これなら多少できる」
というものがあった。
便利屋を始めるとき、私にあった武器は「トイレ掃除」だった
トイレ掃除である。
以前、ある経営者から、トイレを徹底的にきれいにする方法を教わったことがあった。
一部は素手も使うやり方だった。
今なら衛生面や安全面を考えて、手袋や適切な洗剤・道具を使うべきだと思う。
しかし当時の私は、その方法を教わったことで、
「トイレ掃除なら、人より少しうまくできる」
という自信を持っていた。
これだけだった。
便利屋経験なし。
清掃会社勤務経験なし。
専門資格なし。
道具もほとんどなし。
あるもの。
トイレ掃除のちょっとした自信。
そして、
家賃が払えないという切迫感。
人間というのは面白い。
金があると、
「自分に何ができるだろう」
と半年くらい考える。
金がないと、
今日中に決める。
便利屋のチラシを2000枚、一円コピーで作った
仕事を始める。
しかし客はいない。
当たり前である。
「本日から便利屋になりました」
と自宅で宣言したところで、電話は鳴らない。
そこで私は、便利屋のチラシを調べた。
すでに商売しているところのチラシを参考にしながら、自分なりに作った。
そして、一円コピーで、
2000枚。
刷った。
立派なパンフレットではない。
デザイナーに発注する金などない。
当時の私に必要だったのはブランディングではなく、
電話が一本鳴ること
だった。
印刷などに金を使うと、残金は5000円くらいになった。
なかなかスリリングである。
2000枚の紙と5000円。
これが、私の会社の資産だった。
会社ですらない。
ただのおじさんである。
便利屋の集客はポスティング500枚から始まった
まず近所へ配った。
500枚ほど。
一軒。
また一軒。
ポストへ入れる。
この中の誰か一人でも電話してくれ。
そう思いながら配った。
反応がなければ、ただ紙を500枚運動しただけである。
残りは1500枚ある。
さて、どうなる。
一日。
二日。
そして二、三日経ったころ、
電話が鳴った。
仕事の依頼だった。
内容を聞いた。
トイレ掃除。
来た。
よりによって、私が唯一少し自信を持っていた仕事である。
初めての便利屋依頼は80代女性のトイレ掃除だった
依頼主の家は近所だった。
私は、電話だけで受注を決めようとはしなかった。
確実に仕事を取りたかった。
そこで、
「一度伺います」
ということにした。
家へ行った。
依頼主は80代くらいに見える、一人暮らしの女性だった。
トイレを見せてもらった。
私は、たわしなどを使いながら、一部分だけ実際に掃除してみせた。
デモンストレーションである。
広告や販促の仕事をしていたころなら、
「実演販売」
などと格好よく言ったかもしれない。
便利屋になった私は、
便器の前で実演していた。
人生は広い。
広告プランナーだった男が、いつどこで便器を磨くか分からない。
しかし、その場できれいになるところを見てもらった。
お客さんは納得してくれた。
受注。
翌朝から掃除することになった。
トイレ掃除一件から、二件分の売上になった
翌日、朝から訪問した。
掃除を始める。
すると、その家にはトイレが一階だけではなかった。
二階にもあった。
二か所である。
つまり、
仕事が二つになった。
掃除した。
きれいにした。
そして代金を現金でいただいた。
自分でチラシを作った。
自分で配った。
電話が来た。
自分で訪問した。
自分で提案した。
仕事をした。
そして、
その場で金を受け取った。
給料とは違う感覚だった。
誰かに採用されたわけではない。
履歴書もない。
面接もない。
学歴も訊かれない。
年齢も訊かれない。
お客さんが困っている。
こちらが解決する。
その対価として金をもらう。
商売というものの原型を、久しぶりに見たような気がした。
トイレ掃除をしていたら「ゴミ屋敷寸前」だと気づいた
しかし、仕事はそこで終わらなかった。
家の中を見ているうちに、気づいた。
物が多い。
かなり多い。
片づいていない。
ゴミ屋敷、とまで言うのは大げさだったかもしれない。
しかし、
このまま放っておけば、かなり危ない。
そんな状態だった。
依頼主は高齢で一人暮らし。
一人では片づけるのも大変だったのだろう。
私は話をした。
「ほかのところも片づけましょうか」
そんな流れだったと思う。
話し合って、
別の部屋の片づけや掃除も頼まれることになった。
トイレ掃除一件だった仕事が、
家の中の片づけへ広がった。
便利屋を始めて一週間で売上10万円になった
そこから一週間ほど仕事をした。
掃除。
片づけ。
整理。
いろいろやった。
結果、
約10万円の売上になった。
利益ではない。
ここは大事なので、売上と書いておく。
それでも、あのときの私には大金だった。
家賃が払えた。
家を失わずに済んだ。
たった数日前まで、
残金5000円ほど。
2000枚のチラシ。
仕事ゼロ。
そこから500枚ほど配った。
一本の電話が来た。
トイレを掃除した。
それが一週間の仕事になった。
そして家賃を払った。
私はそのとき、
「仕事というものは、会社からもらうだけではないんだ」
と、改めて思った。
便利屋は「何でも自分でできる人」でなくても始められるのか
その後、私は便利屋のサイトも作った。
すると、いろいろな問い合わせが入るようになった。
当然、自分一人ではできない仕事もある。
便利屋といっても、
本当に何でもできるわけではない。
電気工事。
専門的な修理。
廃棄物の処理。
運送。
その他、資格や許可、専門技術が必要になる仕事もある。
知らずに引き受けてはいけない。
私は、自分でできない案件については友人や知人の力を借りることもあった。
そして少しずつ、
「自分が作業できなくても、仕事として成立させる方法がある」
ということにも気づいていった。
これは便利屋をやったことで得た、大きな発見だった。
できない仕事でも売上を作る「便利屋の仕組み」
客から相談が来る。
自分ではできない。
普通なら、
「できません」
で終わる。
しかし、
その仕事ができる人を知っている。
あるいは協力してくれる人を探せる。
そうすれば、
自分が窓口になれる場合がある。
もちろん、法令上の資格・許認可や契約関係を確認し、責任の所在を曖昧にしてはいけない。
何でも右から左へ流せばいいという話ではない。
しかし考え方としては、
便利屋の商品は、自分の腕力だけではない。
客の、
「困った」
を聞く。
何が必要か整理する。
できる人につなぐ。
段取りをする。
その価値に対して対価を得る。
昔、広告の仕事でやっていたことと、どこか似ていた。
私は何でも自分でデザインしていたわけではない。
カメラマンがいた。
デザイナーがいた。
印刷会社がいた。
いろんな専門家を組み合わせて、仕事を完成させる。
便利屋でも、
小さいながら同じことができる。
私は便利屋になって、もう一度プランナーになったのである。
ただし会議室ではない。
便器の横で。
便利屋は儲かる?一週間10万円でも簡単な商売ではない
ここまで読むと、
「便利屋、儲かるじゃないか」
と思う人がいるかもしれない。
待ってほしい。
私は店を潰した男である。
私の売上の話を、そんな簡単に信用してはいけない。
一週間10万円の売上があった。
これは事実である。
しかし、それが毎週続くとは限らない。
チラシを2000枚刷っても、電話が一本も来ない可能性だってある。
移動時間もある。
道具代もある。
集客費もある。
身体も使う。
客とのトラブルだってあり得る。
そして何より、
来月も仕事がある保証がない。
会社員や警備員なら、勤務に入れば賃金が発生する。
自営は違う。
仕事がなければ、
ゼロ。
この怖さを忘れてはいけない。
64歳で転職に落ちて、なぜ便利屋を思い出したのか
そして現在。
私は64歳になった。
警備員を六年近くやっている。
マンション管理員に応募した。
面接を受けた。
落ちた。
不採用通知を見ながら、
「この歳では、もう転職は難しいのかな」
と少し落ち込んだ。
そこで、十年以上前の便利屋を思い出したのである。
あのころの私は、
今より金がなかった。
仕事もなかった。
家賃さえ払えなかった。
それでも、
チラシを作った。
2000枚刷った。
500枚配った。
一本電話が鳴った。
そして一週間働いて、家賃を作った。
だったら今、
不採用一通くらいで、
「もう仕事がない」
と決めるのは、少し早いのではないか。
そんな気がしてきた。
警備員からの転職には「自分で仕事を作る」という道もある
前回、警備員から転職するなら何があるかを考えた。
マンション管理員。
ビルメンテナンス。
施設管理。
清掃。
ドライバー。
事務。
施設警備。
いろいろある。
どれも選択肢だと思う。
しかし、そこにもう一つ加えておきたい。
自分で仕事を作る。
もちろん、いきなり警備員を辞めて独立しろ、という話ではない。
私はむしろ逆だと思っている。
64歳の今なら、
警備で生活費を確保する。
その横で、小さく試す。
一万円売れるか。
三万円売れるか。
一人でも客が来るか。
ダメならやめる。
うまくいったら少し広げる。
店を持たない。
大きな借金をしない。
固定費をできるだけ持たない。
若いころの私は、店を持って失敗した。
だから今度やるなら、あの失敗と反対のことをしたい。
60代の独立は「起業家」にならなくてもいい
「起業」
と書くと、途端に話が大きくなる。
事業計画書。
資金調達。
法人設立。
売上1000万円。
SNS集客。
成功者。
私は、もう少し小さくていいと思う。
たとえば、
誰かの困りごとを一つ解決して、
5000円もらう。
翌週、
別の人の困りごとを解決して、
一万円もらう。
月に数万円。
そこから始める。
それも立派な商売である。
64歳になった今、
私は「社長になりたい」のではない。
自分の力で、もう一度一円を作れるか。
そこに興味がある。
残金5000円だった男は、今また警備員の制服を着ている
あれから十年以上経った。
いろんなことがあった。
便利屋をずっと続けたわけでもない。
また別の仕事へ行った。
そして59歳で警備員になった。
現在64歳。
今日も警備服を着る。
不思議なものである。
便利屋で家賃を作った男が、
今は道路で誘導棒を振りながら、
「転職できるかな」
と心配している。
人間は昔の自分を、案外忘れる。
私はマンション管理員の面接に落ちて、
少し自信をなくした。
でも、
あのときの私は、
履歴書すら出していない。
面接も受けていない。
誰にも採用されていない。
ただ、
2000枚のチラシを刷った。
500枚配った。
電話が一本鳴った。
そして、
仕事になった。
そうだった。
私は一度、
仕事がなくなったところから、
自分で仕事を作ったことがある。
成功者の話ではない。
便利屋で大儲けした話でもない。
一時期、家賃さえ払えなかった男が、
トイレ掃除を入口にして、
どうにかその月を生き延びた話である。
でも今の私には、
その程度の話のほうが役に立つ。
64歳。
マンション管理員、不採用。
警備員、六年目。
さて。
もう一度、何かやってみるか。
あのとき残っていたのは、
5000円と、
2000枚のチラシだった。
今は、それより少しある。
そして何より、
あの500枚を配った男が、まだここにいる。

