
「明日の現場は、13時開始です」
勤務指示を聞いて、私は少しうれしくなった。
午後1時。
いいじゃないか。
警備員をやっていると、午後1時という時刻が、ずいぶん上等なものに思えてくる。
朝5時に起きなくていい。まだ暗いうちに家を出なくてもいい。駅のホームで眠そうな顔をして電車を待つ必要もない。
朝飯だって、ゆっくり食える。
コーヒーも飲める。
ひょっとすると、午前中にブログだって書ける。
何日か用事があって仕事を休んでいた私は、久しぶりに警備会社へ連絡して、翌日の勤務指示を受けたところだった。
休み明けで、いきなり早朝の現場ではない。
これはありがたい。
明日は楽だ。
そう思った。
警備員を六年近くやっているくせに、私はまだ知らなかったのである。
警備員が「明日は楽だ」と思ったとき、たいてい何かが起こる。
警備員を辞めたいと思うのは、仕事がきついからだけではない
電話を切った。
私はすっかり午後1時の男になっていた。
翌朝はゆっくり起きればいい。
午後から数時間働いて帰ってくる。
たまには、こういう日があってもいい。
ところが、しばらくすると、
電話が鳴った。
嫌な予感がした。
警備員を長くやっていると、会社からかかってくる電話の音に、独特の不吉さを感じるようになる。
もちろん電話の着信音そのものは、ほかの電話と同じである。
しかし、
こちらの耳が違う。
出た。
「明日の現場なんですけど……」
来た。
現場変更である。
午後1時開始だった現場がなくなったのか、人員配置が変わったのか、詳しい事情はともかく、別の現場へ行ってほしいという。
今度は、
午前8時30分開始。
午後1時が、午前8時30分になった。
四時間半も人生が前へ移動した。
私は少し考えた。
しかし現場は、それほど遠くない。
まあ、いいか。
「分かりました」
と答えた。
こうして午後1時の男は消え、午前8時30分の男になった。
警備員の現場変更は突然やってくる
これも交通誘導警備などでは珍しくない。
現場仕事は予定どおりにいかないことがある。
工事の日程が変わる。
人員が変わる。
現場が中止になる。
逆に、急に人が必要になる。
誰かが休む。
そして、その穴を誰かが埋める。
警備員をやっていると、
自分の予定が、他人の都合によって動く。
もちろん会社も遊びで電話しているわけではない。
現場に警備員を出さなければならない。
事情は分かる。
分かるのである。
しかし、
事情が分かることと、
うれしいことは、
まったく別の問題である。
午前8時30分。
仕方ない。
寝る時間を少し早くしよう。
そう思った。
ところが、
また電話が鳴った。
また現場変更。「今度はイベント警備です」
電話を見た。
会社である。
もう、いい予感はしない。
「すみません、明日の現場なんですが……」
私は心の中で言った。
まだ変えるのか。
今度はイベント警備だった。
しかも集合時間がさらに早くなる。
場所も、さっきより少し遠い。
午後1時。
↓
午前8時30分。
↓
さらに早い時間のイベント警備。
私の「ゆっくりできる明日」が、電話一本ごとに削られていく。
人生には、こんな削られ方もあるらしい。
話を聞けば、誰かが来られなくなったという。
なるほど。
穴が開いた。
誰かが埋めなければならない。
そして電話は、
私のところへ来た。
警備員は人手不足になると「頼みやすい人」に電話が来る
ここで私は、
「無理です」
と言えばよかったのかもしれない。
予定と違います。
もう一度変更を受けています。
明日は午後からのつもりでした。
そう言えばよかった。
しかし、
言わなかった。
「分かりました」
また言ってしまった。
電話を切る。
しばらくスマホを見る。
そして、
誰もいない部屋で思う。
なんで受けたんだ、私は。
お人よしなのである。
いや、「お人よし」と書くと人格者のようで格好がいい。
実際には、
断るのが面倒なのである。
会社が困っている。
誰かが来られない。
自分が行けば一人埋まる。
そこまで分かってしまうと、
「嫌です」
と言うのにもエネルギーが要る。
だから、
「分かりました」
と言ってしまう。
そして電話を切ってから、
「あーあ」
となる。
六年近く警備員をやっているが、この辺はあまり成長していない。
「警備員を辞めたい」と思う瞬間は現場にいるときだけではない
警備員を辞めたい。
そう思う瞬間は、仕事中だけではない。
真夏の道路に立っているとき。
真冬の風に吹かれているとき。
腰が痛いとき。
トイレに行けないとき。
嫌な通行人に怒鳴られたとき。
遠い現場へ向かっているとき。
もちろん、そういうときにも辞めたくなる。
しかし案外きついのが、
仕事が始まる前である。
前日の勤務指示。
現場変更。
集合時間変更。
急な応援。
知らない現場。
乗り換え案内を調べる。
集合場所を調べる。
何時に起きるか計算する。
そして、
「明日は楽だ」
と思った自分の予定が、一本の電話で消える。
仕事そのものより、
仕事に自分の生活を振り回されている感覚
が嫌になることがある。
交通誘導警備は毎日同じ職場とは限らない
施設警備などとは違って、交通誘導警備では現場が変わることがある。
昨日は近所。
今日は遠方。
明日は建築現場。
その次は道路工事。
そして突然イベント。
毎日同じ駅で降りて、同じ建物へ行く仕事ではない。
これは人によっては面白さでもある。
同じ場所に閉じ込められない。
いろんな街へ行く。
知らなかった場所を知る。
早く終わる現場だってある。
しかし、60代になった私は、
「変化がある仕事って面白いな」
より、
「明日どこなんだよ」
のほうが強くなってきた。
若いころなら、それも刺激だったかもしれない。
64歳になると、
刺激より安定がありがたい。
冒険より睡眠である。
60代の警備員に「早朝・遠い現場」がきつくなる理由
若いころと今では、疲れ方が違う。
仕事そのものが八時間でも、
現場が遠ければ往復の時間が加わる。
集合時間が早ければ、起床時間はさらに早い。
現場で制服に着替える時間もある。
家を出てから帰宅するまで考えれば、一日のかなりの部分を仕事に使うことになる。
しかも翌日、また別の現場。
だから私は最近、
日給だけではなく、
「この仕事のために、一日の何時間を渡すのか」
を考えるようになった。
これは60代の仕事選びでは、かなり重要なことだと思う。
一万円なら一万円。
しかし、
近所で働いて得る一万円と、
早朝に起き、電車を乗り継ぎ、一日の大部分を使って得る一万円は、
私にはもう同じ一万円には見えない。
警備員を辞めたい。でも会社が嫌いなわけではない
ここは少し複雑である。
私は会社を憎んでいるわけではない。
六年近く雇ってもらった。
59歳で仕事を探していたころ、私は警備会社の面接にさえ何社か落ちた。
そんな私を採用して、仕事を出してくれた。
生活も支えてもらった。
現場には嫌な人もいたが、面白い人もいた。
つい最近だって、以前は苦手だった女性警備員と二人現場になり、思いがけず互いの昔の仕事や人生について話した。
帰り際、彼女がニコッと笑った。
そのとき私は、
警備員をやっていてよかったのかもしれない
とさえ思った。
だから不思議なのである。
「警備員をやっていてよかった」
と思う日がある。
その何日か後には、
「あー、もう辞めたい」
と思っている。
人間の気持ちとは、実に節操がない。
しかし、たぶん両方とも本当なのだ。
警備員を辞めたいのに辞められない理由
では、なぜ辞めないのか。
簡単である。
生活があるからだ。
「嫌なら辞めればいい」
と言うのは簡単だ。
だが仕事を辞めれば、翌月から収入がなくなる。
家賃は、
「人生を見つめ直しているので今月は勘弁してください」
とは言えない。
電気代も待ってくれない。
スーパーのレジで、
「現在キャリアチェンジを検討中です」
と言っても安くならない。
だから働く。
これは格好のいい話ではない。
夢でもない。
生活である。
しかし私は最近、もう一つ考えるようになった。
生活のために働くことと、
嫌な仕事を永遠に続けることは、
同じではない。
警備員を辞めたいなら、働きながら次の仕事を探してもいい
以前の私は、
辞めるか。
続けるか。
二択で考えていた。
しかし今は違う。
警備員を続けながら、次を探せばいい。
今日の生活費は警備員として稼ぐ。
その一方で、
求人を見る。
応募する。
面接へ行く。
マンション管理。
施設管理。
ビルメンテナンス。
あるいは、これまでの経験を使える別の仕事。
64歳だから簡単ではない。
そんなことは分かっている。
しかし、
「難しい」
と、
「やってはいけない」
は違う。
私はまだ、次を探している。
60代の転職は「もっと偉くなる」ためだけではない
若いころの転職なら、
年収アップ。
キャリアアップ。
役職。
成長。
そんな言葉が並ぶ。
64歳の私は、少し違う。
もちろん金は欲しい。
できれば今より稼ぎたい。
しかし同じくらい、
身体を削りすぎないこと。
生活時間を奪われすぎないこと。
できれば勤務地が安定していること。
65歳以降も続けられること。
そういうものが大切になってきた。
これは「キャリアダウン」なのだろうか。
私は、そうは思わない。
年齢によって、仕事に求めるものが変わっただけである。
若いころの成功と、
人生後半の成功は、
同じ形でなくてもいい。
それでも翌朝、警備員の制服を着る
翌日のことを考える。
イベント警備。
集合時間は早い。
少し遠い。
本当なら午後1時からだった。
私はまた、
「あー、もう辞めたい」
と思う。
しかし朝になれば起きるだろう。
顔を洗う。
着替える。
荷物を持つ。
電車に乗る。
現場へ行く。
そして、
警備員の制服を着る。
これは「警備員が大好きだから」ではない。
使命感でもない。
立派な職業人だからでもない。
今日を生きるためである。
それで十分だと思う。
仕事というものを、いつも愛さなければならない理由などない。
辞めたいと思いながら働く日があってもいい。
ただし、
辞めたいと思っている自分の声まで、無視し続けないほうがいい。
警備員を辞めたい。それは「次へ行きたい」のかもしれない
午後1時だった現場は消えた。
午前8時30分の現場も消えた。
最後に残ったのは、早朝のイベント警備だった。
なんだか私の人生そのものみたいである。
予定を立てる。
変わる。
また変わる。
思った場所へ行けない。
そして、
「仕方ない」
と言いながら、別の場所へ向かう。
私はこれまで、何度「仕方ない」と言ってきただろう。
店を失った。
仕事を変えた。
警備員になった。
そして六年目。
また、
「仕方ない」
と言っている。
でも、そろそろ一度くらい、
「仕方ない」ではなく、「こっちへ行く」
と自分で決めてもいいのかもしれない。
明日は警備へ行く。
その次の日も、たぶん行く。
生活がある。
だから制服を着る。
けれど、
制服を着ているからといって、
この先もずっと警備員でなければならないわけではない。
道路では毎日、人や車に進む方向を示している。
「こちらへどうぞ」
「少々お待ちください」
「はい、進んでください」
六年近く、他人ばかり誘導してきた。
そろそろ、
自分を誘導してもいい頃だ。
警備員を辞めたい。
それでも今日も制服を着る。
矛盾しているようで、
私は今、その二つの間に立っている。
そして案外、
そこが次の人生への入口なのかもしれない。
