警備員物語100

【警備員物語30】自営の店の閉店後、私は転がり落ち、漂流者になった

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警備員になって数か月。

ここまで書いてきて、ふと思った。

少し、自分のことを書いておこう。

なぜ私は、工事現場で誘導棒を振っているのか。

なぜ六十歳を前にして、ヘルメットをかぶる人生になったのか。

その答えは、一軒の小さな店を閉めたところから始まる。

店を閉めた夜

私は五年間、音楽の店をやっていた。

最初はジャズバーにしたかった。

ところが店は生き物である。

来る客によって変わっていく。

いつしかDJイベントをやるようになり、弾き語りライブが始まり、店はライブハウスのようになっていった。

それはそれで面白かった。

だが、商売としては厳しかった。

そして、店を閉めた。

店の灯りを消した夜のことは、今でも忘れない。

「ああ、終わったな。」

それだけだった。

もう一度、広告の世界へ

私は元々、広告や販売促進の企画をしてきた人間である。

「もう一度、あの世界へ戻ろう。」

そう思った。

まず訪ねたのは、昔お世話になったSPプロダクションだった。

何度か仕事をもらった。

しかし、昔ほど評価されない。

企画も通らない。

手応えがない。

次に、大手印刷会社系列の企業PRプロダクションを訪ねた。

代表は、若い頃によく通った新宿のバーのママさんの弟さんだった。

久々に会社に訪ねてきた私の事情を知ると、彼はこう言ってくれた。

「一年くらい面倒を見るよ。」

本当にありがたかった。

会社のデスクまで用意してくれた。

そこを拠点にしながら、外へ営業へ出る。

フリーランスとして、もう一度勝負しようと思った。

5年で時代は、もう変わっていた

ところが、そこでも現実を知る。

5年前とは、まるで違っていた。

会社そのものが変わっていたのである。

設立当初は、社員より外部スタッフが多かった。

広告も販売促進も企業広報も、何でもやる会社だった。

だから、中小広告代理店で何でも屋をやってきた私は居場所があった。

ところが数年後には、会社は成熟していた。

社員が増え、社風も固まった。

仕事も変わった。

SP(販売促進)の仕事はほとんどなく、

CSR=企業の社会的責任、という言葉が通常化してきた。

やがてSDGsへつながるような企業広報。

さらに外資系企業の案件。

私が得意だった販促企画や売るためのコピーよりも、

企業の理念や社会との関わりを伝える仕事が中心になっていた。

私は、時代に追いつけなかった。

キャッチフレーズも当たらない。

コンセプトも通らない。

企画書を書いても、昔のような反応は返ってこない。

時代は静かに、しかし確実に変わっていた。

社長に居留守を使われる

従来の広告系のプロダクションへの営業は続けた。

昔の取引先も回った。

だが、仕事は来ない。

先に出した仕事の成果物の出来合いに満足がいかなかったようなのだ。

そのうち、社長が会ってくれなくなる。

受付で待っていると、

「今日は外出して、社長は不在です。」

そんな返事が増えていく。

本当に外出していたのか。

それとも……。

考えないようにした。

そしてある日、デスクを置かせてもらっていた会社から、IDカードを返却してほしいと言われた。

自由に出入りできなくなった。

静かな終わりだった。

誰にも怒られない。

誰にも責められない。

ただ、必要とされなくなっただけだった。

転落、そして、漂流が始まる

店を閉めて二年。

クリエイティブ関連の仕事が一切なくなった。

私はチェーン居酒屋の調理場でアルバイトを始めた。

広告マンが、包丁を握っている。

いや、ちょっと前までのDJバーのオーナーが皿洗いのバイトをしている。

人生は本当に分からない。

その頃、自分は何を間違えたのか知りたくなった。

書店で一冊の本に出会う。

ある起業コンサルタイトの自分の起業失敗談の実例を解説し、成功するための方法を説く本だった。

夢中で読んだ。

巻末に連絡先のメールアドレスが載っていた。

私は思い切って相談のメールを送った。

すると返事が来た。

ありがたいことに、同じ沿線上の駅で直接面談することになった。

しかも、無料で。

コンサルタイトは、私の話を最後まで聞いてくれた。

そして静かに言った。

「まずは生活を安定させましょう。」

その一言は、当時の私には少し悔しかった。

でも、正しかった。

理想を追いかける前に、生きていかなければならない。

彼の本業である人材会社の紹介で、新宿の百貨店バックヤードにある物流の仕事へ就いた。

それが、新しい漂流の始まりだった。

漂流は、まだ終わらない。そして、

物流。

宅配ドライバー。

テレアポ。

土木。

ラーメン屋。

便利屋。

施設管理。

そして、警備員。

まだ、この先にはいくつもの寄り道がある。

その一つ一つが、今の私をつくっている。

人生は一本道ではない。

まっすぐ歩いているつもりでも、気がつけば流されている。

私はその流れを、「漂流」と呼んでいる。

でも今は思う。

漂流していたからこそ出会えた人がいる。

漂流していたからこそ書ける物語がある。

そして、その漂流の果てに立っている場所が、今の工事現場なのだ。

この話は、まだ終わらない。

次回は、警備員になるまでの、もう少し長い漂流の続きを書いてゆきます。

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個人事業企画・再起プランナー。
現在、現役警備員として働きながら、自らの再起を模索中!

元広告代理店勤め、フリーランスプランナーへ。店舗経営(DJバー)を経て、事業に失敗。

その後、地方ホテル支配人、配送、飲食、施設警備、交通誘導など、さまざまな現場仕事を経験する。

現在は交通誘導警備の現場に立ちながら、仕事の厳しさ、人間模様、収入、失敗談、そして現場で見つけた小さな希望を「警備員ブルース」に記録しています。

人生は、思いどおりにいかなくなってからも、続く。

失業した人、仕事に行くのがつらい人、60代からの働き方に迷っている人へ。成功者の上から目線では全くなく、現場で働く一人として、警備員という仕事の現実と、人生をもう一度立て直すためのヒントを届けます。

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現場仕事を「人生の再起の入口」に変える、再起プランナーとして発信しています。

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