
警備員という仕事で、一番大切なものは何だろう。
誘導棒だろうか。
無線機だろうか。
いや、それとも経験だろうか。
私なら、こう答える。
「トイレだ。」
警備員なら笑うかもしれない。
だが、本当にそのくらい大事なのである。
そして、その大切さを私に教えてくれた男がいる。
私は密かに、彼を**「トイレの梅さん」**と呼んでいる。
昔気質の大工上がり
梅さんは、大工上がりの警備員だった。
いかにも職人という風貌で、話し方も昔の大工そのもの。
言葉は豪快だ。
「あそこをパンパンとやってよ。」
「ここはグッと入って、ビシッと止めればいい。」
そんな調子で説明する。
本人には全部見えているのだろうが、初めて聞く人には何を言っているのか分からない。
隠語なのか。
職人言葉なのか。
説明というより、感覚でしゃべる。
だから最初は、
「この人、大丈夫かな。」
と思ってしまう。
ところが、一緒に現場へ入ると、その印象は見事に裏切られる。
大雑把そうで、実は誰より細かい
梅さんは、現場へ来る前から地図を調べている。
通行止め。
一方通行。
迂回路。
工事車両の出入り。
歩行者の流れ。
それらを前日から確認している。
「ここは車が詰まる。」
「こっちから歩行者が来る。」
「この位置なら安全だ。」
ぶっきらぼうに話しているようで、頭の中では細かな段取りが組み立てられている。
私は思った。
これは、大工時代の経験なのだろう。
図面を読み、寸法を測り、先を読んで仕事を組み立てる。
その癖が、警備の仕事にも生きている。
見た目は豪快。
中身は驚くほど緻密。
職人というのは、案外そういう人たちなのかもしれない。
梅さんが最初に探すもの
だが、梅さんにはもう一つ癖がある。
現場へ着くと、真っ先に歩き出す。
私は最初、
「現場の確認かな。」
と思っていた。
違った。
帰ってくると、こう言う。
「公園にトイレあるぞ。」
「コンビニなら三分。」
「信号渡ればスーパーにもある。」
「そこなら借りられる。」
私は思わず笑った。
梅さんが最初に確認していたのは、トイレだったのである。
食事より大切かもしれない
警備員ではない人には、少し大げさに聞こえるかもしれない。
だが、交通誘導警備では本当に重要だ。
現場によっては、公衆トイレがない。
コンビニも遠い。
工事現場の仮設トイレも使えないことがある。
しかも、配置を離れるには交代が必要だ。
つまり、
「行きたいから行く。」
というわけにはいかない。
だから現場へ入ると、
どこにトイレがあるか。
何分で行けるか。
誰に声をかければ交代できるか。
これが、安心して一日働けるかどうかを左右する。
冗談ではない。
下手をすると、昼飯より大事なのである。
初めての現場ほどありがたい
私は初めて入る現場が多い。
土地勘がない。
近くに何があるのか分からない。
そんなとき梅さんは、
「こっちな。」
と歩きながら教えてくれる。
「あそこなら使える。」
「そこは混む。」
「公園のほうが早い。」
その一言だけで安心する。
人は不思議なもので、
トイレの心配がなくなるだけで、仕事への集中力がまるで違う。
梅さんは、それを知っている。
だから毎回確認する。
誰に言われるでもなく。
当たり前のように。
休憩も惜しまない
梅さんは休憩もこまめに回してくれる。
「行っといで。」
そう言われるだけで救われる。
責任感が強い警備員ほど、
「まだ我慢できる。」
と言ってしまう。
だが、我慢は事故につながる。
集中力が落ちる。
判断が鈍る。
熱中症にもなりやすい。
梅さんは、それを経験で知っている。
だから休ませる。
だからトイレを気にする。
だから現場全体が落ち着く。
本当の気配りは、目立たない
梅さんは、決して優しい言葉をたくさんかける人ではない。
ぶっきらぼうだ。
説明も雑だ。
笑顔も少ない。
それでも私は、一緒に現場へ入ると安心する。
なぜなら、見えないところで細かく準備をしているからだ。
地図を見る。
道路を見る。
危険を見る。
そして、トイレを見る。
それは派手な仕事ではない。
誰にも褒められない。
しかし、一緒に働く警備員にとっては、この上なくありがたい気配りなのである。
私は今日も「トイレの梅さん」と呼んでいる
本人は知らない。
私が心の中でそう呼んでいることを。
「トイレの梅さん」。
少し失礼なあだ名かもしれない。
でも、私にとっては最高のほめ言葉だ。
警備員の苦労を知り、仲間が安心して働けるように、当たり前のように準備をする。
それは技術であり、経験であり、思いやりでもある。
ぶっきらぼうな大工上がりの警備員は、今日もどこかの現場で言っているだろう。
「あっちに公園あるからよ。」
その一言で、初めて現場に入った警備員の緊張が、少しだけほどけている。
私はそんな梅さんを、これからもずっと心の中でこう呼び続ける。
トイレの梅さん。
それは、警備員仲間から贈る、私なりの敬意の名前なのである。
