
警備員になって、六年近くになる。
59歳で始めて、私はもう64歳になった。
最近、この六年間を振り返りながら、ひとつ考えていることがある。
警備員は、私にとって「準備期間」だったのではないか。
もちろん、警備員を一生の仕事にする人を否定するつもりはない。資格を取り、隊長になり、現場をまとめ、この世界で長く働く人もいる。それは一つの立派な生き方である。
ただ、私の場合は少し違う。
仕事が見つからなくなって、警備員になった。
とにかく働かなければならなかった。
金を稼がなければならなかった。
そして警備という仕事は、そんな私を受け入れてくれた。
だから感謝している。
しかし最近、ふと思うのである。
感謝することと、ここにずっといることは、同じではない。
警備員は、ある意味「水商売」に似ている
誤解を恐れずに言えば、私は警備員という仕事に、どこか「水商売」に似たところがあると思っている。
こんなことを書くと、
「警備員と水商売を一緒にするな」
と怒られるかもしれない。
もちろん、仕事の中身が似ているという意味ではない。
私が言いたいのは、仕事に入る入口の感覚である。
需要がある。
比較的始めやすい。
働けば、比較的早く金になる。
特別な経歴がなくても入口に立てる場合がある。
年齢を重ねてからでも入ってくる人がいる。
そして、傍から見れば、
「自分にもできそうだ」
と思いやすい。
とりわけ女性にとっても、警備員という仕事は以前より選択肢として見えやすくなっているように私は感じる。実際、私の周囲にも女性警備員はいる。
警備という仕事そのものも、世界のどこへ行っても必要になる。
人が集まれば、安全を守る人間が必要になる。
建物があれば警備が必要になる。
道路工事があれば、人や車を安全に通す役割が必要になる。
イベントを開けば、雑踏を整理する人間が必要になる。
そういう意味では、警備は非常に普遍的な仕事である。
そして何より、
「今、仕事が必要だ」
という人間にとって、警備員は現実的な入口になりやすい。
私自身がそうだった。
「誰でもできそう」に見える。でも、やってみるとそうでもない
警備員について、
「誰でもできる仕事だ」
と言う人がいる。
私自身、警備員になる前には、どこかでそう思っていたかもしれない。
道路に立って、棒を振っている。
車が来たら止める。
歩行者が来たら案内する。
それだけに見える。
ところが実際にやると、そんなに単純ではない。
車の流れを見る。
歩行者を見る。
自転車を見る。
工事車両を見る。
作業員の動きを見る。
反対側の警備員を見る。
無線を聞く。
次に何が起きるかを予測する。
そして、ときには一瞬で判断する。
判断を間違えれば事故につながる。
相手は機械ではない。
人間である。
急いでいる人もいる。
怒る人もいる。
こちらの合図を見ない人もいる。
だから、
入口は広く見えても、きちんとやろうとすると難しい。
これは警備員を六年近くやってきて、かなり強く感じることである。
それでも入口が比較的見つけやすいという点は、仕事を失った人間にとって大きい。
59歳の私にとっても、そうだった。
仕事がない人間にとって、警備員は「働く近道」になる
50代の終わり、私は仕事探しに苦労していた。
若いころなら考えなかったことを考えるようになった。
自分に何ができるか、ではない。
誰か、私を雇ってくれるのか。
広告の仕事もした。
営業もした。
企画もやった。
店も経営した。
ホテルでも働いた。
いろいろやってきたつもりだった。
ところが年齢が上がると、それまでの経歴がそのまま次の仕事につながるとは限らない。
そんなとき警備員になった。
仕事があった。
現場へ行った。
働いた。
金になった。
生活がつながった。
だから私は、警備員を馬鹿にする気には到底なれない。
私を食わせてくれた仕事だからだ。
警備員は、私にとって、
生きるための近道だった。
問題はここからである。
近道は便利だ。だからこそ、いつか抜けることを忘れる
近道は便利である。
だから近道なのだ。
ところが便利な道には、一つ問題がある。
そこを歩いているうちに、
自分が本当はどこへ行こうとしていたのかを忘れる。
私も最初から、
「これから六年間、警備員をやろう」
と決めていたわけではない。
まず働こう。
生活を立て直そう。
そのうち次を考えよう。
そんなものだった。
一年経った。
二年経った。
三年経った。
気がつけば五年以上である。
現場へ行くことにも慣れた。
制服にも慣れた。
誘導棒にも慣れた。
嫌な現場があっても、翌日にはまた別の現場へ行く。
そうやって日々は過ぎていく。
そして、ある日突然、
「あれっ」
と思う。
俺は、このままなのか。
俺の人生は、これだけなのか。
このまま65歳になり、70歳になっていくのか。
そのとき初めて、
「このままじゃ、まずいな」
と思う。
しかし私は最近、それでは遅いのではないかと思うようになった。
正確には、
「このままじゃまずい」と感じた時点で、すぐ準備を始めなければ遅くなる。
ということだ。
矢沢永吉の言葉――「近道が、いつか敵になる」
矢沢永吉の言葉で、私の頭に残っているものがある。
近道は、いつか敵になる。
私はこの言葉を、今の自分に重ねてしまう。
矢沢永吉が語った本来の文脈と、私の警備員生活はもちろん違う。
向こうは矢沢永吉である。
こちらはハンカクサイゾウである。
向こうがステージでマイクスタンドを振っているころ、こちらは道路で誘導棒を振っている。
ずいぶん違う。
しかし、
近道に助けられたからこそ、近道を目的地にしてはいけない。
という意味なら、今の私にはよく分かる。
警備員は私を救ってくれた。
だからこそ、警備員を利用して次へ行けばいい。
警備をやりながら生活費を稼ぐ。
その間に次の仕事を探す。
必要なら勉強する。
文章を書く。
小さな商売を試す。
つまり、
警備員を辞めてから次を考えるのではない。警備員をやっている今こそ、次を準備する。
「このままじゃまずい」と思ったら、すぐ手を打つ
矢沢永吉について、もう一つ私が印象に残っていることがある。
あの人は「早い」と言われる。
決断が早い。
動くのが早い。
問題があると思えば、早く手を打つ。
その背景には、むしろ怖さがある、という趣旨の話をしていた記憶がある。
これも私には面白い。
強い人間だから怖くないのではない。
怖いから準備する。
だったら私だって、怖くていい。
65歳からどうする。
警備をいつまで続けられる。
金はどうする。
仕事はあるのか。
一人でどう生きる。
不安はいくらでもある。
しかし不安そのものが問題なのではない。
不安を抱えたまま、何年も同じ場所に立っていることのほうが問題なのだ。
怖かったら、求人を見る。
一社応募する。
必要な資格を調べる。
人に会う。
文章を一本書く。
小さな仕事を一件取ってみる。
怖さを、準備に変える。
それならできる。
警備員は「辞める仕事」ではなく「次を作る時間」にする
私は今すぐ警備員を辞めるつもりはない。
辞めたい日は、しょっちゅうある。
しかし、感情だけで辞めればいいとも思わない。
家賃がある。
食費がある。
生活がある。
生きていかなければならない。
だから警備員を続けながら、次を作る。
マンション管理員にも、また挑戦していい。
施設管理もある。
公共施設の仕事もある。
以前やった便利屋を、今の年齢に合った形でやり直すことだって考えられる。
そして私には、書くこともある。
『警備員ブルース』を100話まで書く。
100話を超えたら、『警備員漂流記』という新しいものも考えている。
そうやって考えてみると、今の警備員生活は、単なる我慢の時間ではなくなる。
準備期間になる。
同じ道路に八時間立っていても、
「俺はここから出られない」
と思って立つのと、
「ここに立ちながら、次を作っている」
と思うのでは、ずいぶん違う。
64歳だから、目標を小さくしなければならないのか
もう一つ、このところ自分に腹が立っていることがある。
私はいつの間にか、
年齢に合わせて夢まで小さくしていた。
64歳だから。
もうすぐ65歳だから。
一度事業に失敗したから。
金持ちではないから。
一人だから。
だから、
「せめて長く働けるところへ」
「月にこれくらいあれば」
「どこか雇ってくれれば」
そんなことばかり考える。
もちろん現実は大事だ。
生活設計も必要だ。
しかし、それだけでは寂しい。
だったら、ホラでもいいのではないか。
笑われてもいい。
大きな目標を一つくらい持ってみる。
本を書く。
自分の仕事を作る。
故郷で何かをやる。
人が集まる場所を作る。
面白い企画をやる。
「そんなの無理だよ」
と言われるくらいでもいい。
実現するかどうかは、そのあと考えればいい。
目標というものは、必ず達成するためだけにあるのではない。
今日、どちらへ一歩踏み出すかを決めるためにも必要なのだ。
夢と目標がなければ、準備のしようがない
考えてみれば当たり前である。
行き先が分からない人間に、
「準備しろ」
と言っても無理なのだ。
青森へ行くのか。
大阪へ行くのか。
外国へ行くのか。
行き先によって持っていくものも、乗るものも違う。
人生だって同じだろう。
だから今の私に必要なのは、
「警備員を辞めたい」
と繰り返すことだけではない。
そのあと、どこへ行きたいのかを決めることだ。
途中で変えてもいい。
間違えてもいい。
ホラでもいい。
まず夢を置く。
その夢を目標に変える。
目標を、小さな行動に変える。
そうして初めて、
今日という一日が「準備期間」になる。
警備員は、私にとって終着駅ではない
警備員になってよかったと思っている。
少なくとも、警備員になったことそのものを後悔してはいない。
59歳で仕事が見つからなかった私を、この仕事は受け入れてくれた。
働かせてくれた。
生活をつないでくれた。
いろいろな人間にも会わせてくれた。
そして六年近く経った今、その経験を私は『警備員ブルース』として書いている。
無駄ではなかった。
むしろ、大きな意味があった。
ただし、
ここを終着駅にはしない。
警備員は、私の準備期間だった。
そう言える人生にする。
そのためには、今から準備しなければならない。
辞めてからではない。
金がなくなってからでもない。
身体が動かなくなってからでもない。
「もう遅い」と思ってからでもない。
今だ。
64歳。
警備員。
まだ勤務中である。
だから、まだ給料をもらいながら準備できる。
これは考えてみれば、ありがたいことではないか。
夢を決める。
目標を決める。
そして一歩だけ動く。
警備員として人の車を誘導しながら、
私はそろそろ、
自分の人生をどちらへ誘導するのか、決めなければならない。
近道には、ずいぶん助けてもらった。
だからこそ、
近道が敵になる前に、次の道へ行こうと思う。
