
研修が終わると、本当の警備が始まった
三日間の新任研修が終わった。
教室では、誘導棒の振り方を教わり、法令を学び、「歩行者第一です」と何度も聞かされた。
ところが、現場へ出ると教科書どおりにはいかない。
工事現場は毎日違う。
道路も違う。
監督も違う。
そして何より、一緒に組む警備員が毎日違った。
私は一週間ほど、あちこちの現場を転々とした。
住宅街のガス工事。
幹線道路の舗装工事。
マンション建設。
電気工事。
朝四時半に起きる日もあれば、片道二時間近くかかる現場もあった。
現場へ行くたびに、初めて会う警備員と組む。
そのたびに思った。
「警備員って、こんなに個性が強い人ばかりなのか。」
無口で一日ほとんど話さない人。
昔話を延々と語る人。
やたら怒鳴る人。
何でも知っている顔をする人。
現場より自分の武勇伝のほうが長い人。
私は広告代理店や飲食店、自営業など、いろいろな世界を見てきた。
だが、これほど濃い人間が毎日のように入れ替わる職場は初めてだった。
その頃から私は、現場へ向かう電車の中で考えるようになった。
「今日はどんな人に会うんだろう。」
工事現場へ向かっているというより、人間観察へ向かっているような気分だった。
そして、その一週間ほどあと。
私の記憶に強烈に残る女性警備員と出会う。
私は、心の中で彼女をこう呼ぶことになる。
「ミス隊長さん」。

私は彼女を、心の中で「ミス隊長さん」と呼んでいた。
理由は簡単だ。
現場に隊長はいない。
それでも彼女は、いつも隊長だった。
「警備歴って、そんなに大事なのか。」
初めてその人と現場で組んだ朝、私はまだ会社に入って間もない新人だった。
集合場所で挨拶を済ませると、その女性は私の顔をじっと見た。
「警備、何年やってる?」
いきなりだった。
「いや、まだ……」
そう答えかけた瞬間だった。
「私はね、○○警備で四年。その前が△△警備で三年。そのまた前が□□警備で五年。合わせて十二年。」
聞いてもいないのに、自分の経歴が始まった。
私は少し驚いた。
履歴書が歩いているような人だ、と思った。
ベテランという肩書
その人を、私は心の中で「隊長さん」と呼ぶことにした。
正式な隊長ではない。
しかし、本人の頭の中では、いつでも自分が隊長なのだ。
新人が来れば指示を出す。
現場監督が説明していても、横から補足する。
誰かが話していれば、「それは違う」と入りたがる。
とにかく、中心にいたい。
警備歴が長いことは誇りなのだろう。
その気持ちは分からなくもない。
ただ、警備という仕事は不思議だ。
十年やっていても失敗する人はいる。
三か月でも気配りのうまい人はいる。
経験年数と仕事ぶりは、必ずしも比例しない。
それでも「隊長さん」の物差しは一つだった。
警備歴が長い人ほど偉い。
それが揺らぐことはなかった。
現場の空気を握る人
しばらく働いているうちに、私はあることに気づいた。
「ああ、この人、有名なんだ。」
別の現場へ行っても、
「あ、隊長さんね。」
そんな反応をする人がいる。
良くも悪くも、存在感がある。
誰よりも先に話し始める。
誰よりも先に仕切ろうとする。
現場監督がいても。
職長がいても。
気がつけば、自分が中心になっている。
ある意味では才能だった。
勝とうとしない
最初のころ、私は少し反発していた。
「そんなに仕切らなくてもいいだろう。」
そう思っていた。
だが、ある日から考え方を変えた。
「どうぞ、お願いします。」
そう言って任せてみた。
すると不思議なことに、現場が静かになった。
本人は満足そうに動く。
周りも「ああ、いつものことだ」と受け入れる。
私は必要なところだけ動けばいい。
その日から私は悟った。
人には、それぞれ居心地のいい役割がある。
前に立ちたい人もいる。
後ろから支えたい人もいる。
無理に勝とうとすると疲れる。
任せたほうが、ずっと楽なこともある。
警備会社は、会社だけではなく「小さな社会」でもある。
警備会社には、いろいろな人が集まる。
静かな人。
怒りっぽい人。
世話好きな人。
自分を大きく見せたい人。
それぞれが、それぞれの人生を背負って制服を着ている。
「隊長さん」も、その一人だった。
道路を仕切ることより、人を仕切ることが好きな人。
そんな人が一人くらいいると、現場は妙ににぎやかになる。
私は今日も誘導棒を振りながら思う。
警備会社は工事現場ではない。
人間という、一番難しい相手との研修所なのだ。
今では現場で一緒になると、
「今日はミス隊長さんがいるから安心だ。」
私はそう思うようになった。
人には向き不向きがある。
彼女には「前に立ちたい」という才能があった。

私には、それを一歩後ろから眺める役が似合っていたようだ。
どうやらそれが合っているようだ。
ニックネームをつけるなら、
ミスター子分、かな。