警備員になってから、人を眺める時間が増えた。
朝、子どもの手を引いて歩く夫婦。
仕事帰りに待ち合わせをする恋人同士。
買い物袋を提げて並んで帰る老夫婦。
私は交通誘導をしながら、そんな何気ない風景を毎日のように見送っている。
以前なら、何も感じなかったかもしれない。
だが六十代になった今、その何気ない日常が、とてもまぶしく見える。
恋をしたい気持ちは、今でもある。
好きな人ができれば、手をつなぎたいし、キスもしたい。抱きしめたいと思う。
そんな気持ちは、年齢とともになくなるものではない。
でも最近、自分の中で何かが変わってきた。
かりそめの恋では、もう満たされない。
恋の先にあるものを求めるようになった。
それは、「家族」だ。
朝、「おはよう」と言い合える人がいる。
仕事から帰れば、「おかえり」と迎えてくれる人がいる。
疲れた日は黙ってお茶を飲み、たわいもない話をする。
そんな、ごく普通の暮らしがほしい。
若い頃は、それが当たり前だと思っていた。
しかし、離婚を経験し、仕事を失い、店を畳み、人生を何度もやり直してきた今になって、その当たり前が、どれほど大切だったのかを思い知る。
警備員という仕事は、一人で立っている時間が長い。
だから考える。
これまでの人生のこと。
失ったもののこと。
そして、これからの人生のこと。
過去をやり直すことはできない。
けれど、これから先の人生をつくることはできる。
もし、もう一度誰かと出会えるなら、その人とは恋愛だけで終わりたくない。
人生を一緒に歩き、笑い合い、支え合える関係を築きたい。
私はもう六十代だ。
「今さら」と笑う人もいるだろう。
それでも、人は何歳になっても幸せを願うことができる。
それは、恥ずかしいことではない。
警備員になってから、人生の終着駅に立ったような気持ちになる日もある。
だが、本当は終着駅ではない。
ここは、もう一度人生を乗り換える駅なのかもしれない。
だから私は、かりそめの恋ではなく、本当の家族をもう一度つくりたい。
それが今の、偽らざる願いである。
60代警備員、もう一度家族をつくりたい。
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執筆者:benriyamaster