仕事がなくなった。
いや、正確には、自分がやれる仕事がなくなった、と言ったほうがいいのかもしれない。
五十代の終わり。地方の宿泊業を、やむを得ない事情で辞め、東京へ戻ってきた。もう一度やり直そうと思っていた。だが、現実は私が思っていたより、ずっと冷たかった。
失業したあの日、「仕事がない」という現実に直面した
東京へ戻ってから、仕事はいくつも変えた。
配達ドライバー。テレアポ。土木会社の現場代理人見習い。ラーメン屋の見習い。
どれも長くは続かなかった。
自分から辞めた仕事もある。
辞めざるを得なかった仕事もある。
最後に働いたラーメン屋では、とうとうクビになった。
店を出た帰り道、行くあてはどこにもなかった。
求人サイトを開いても、自分にできそうな仕事は減っていくばかりだった。
うすうす気づいていた。
もう残っている仕事は、あれしかない。
警備員だった。
求人サイトで最後まで残っていた仕事が警備員だった
毎日、求人サイトを開いた。
年齢不問。
未経験歓迎。
シニア活躍中。
そんな文字が何度も目に入る。
しかし実際に応募してみると、年齢の壁は厚かった。
書類選考で落とされる。
経験者を優先される。
返信すら来ない。
そんな求人が続くなかで、最後まで大量に募集していたのが警備員だった。
道路工事。
建設現場。
イベント警備。
施設警備。
「ああ、ここしかないのか。」
そう思いながら、応募ボタンを押した。
「警備員だけはやりたくない」と思っていた私
実は東京へ戻ったばかりの頃、配達ドライバーをしていた。
毎日、都内を走る。
信号待ちをしていると、工事現場で旗を振る警備員が目に入る。
車にも気を遣う。
歩行者にも気を遣う。
自転車にも気を遣う。
夏は炎天下。
冬は凍える寒さ。
「あれだけはやりたくない。」
そう思っていた。
ドライバーも大変だった。
だが警備員は、もっと神経を使う仕事に見えた。
まさか数か月後、その制服を自分が着ることになるとは思いもしなかった。
50代末、未経験でも採用された
警備会社へ応募した。
すると驚いた。
「面接に来てください。」
返事はすぐだった。
ほかの会社では書類選考で落ち続けていた私が、警備会社だけは即日面接だった。
研修の日程も、その場で決まった。
年齢よりも、健康であること。
真面目に現場へ行けること。
それが何より大切なのだと知った。
人生で初めて、自分は「警備員なら必要とされる人間なのだ」と思った。
制服を着た初日、人生は終わったと思った
研修を終え、初めての勤務日。
支給された制服に袖を通した。
鏡を見る。
そこに映っていたのは、以前、配達中に見かけていた警備員だった。
「ああ……俺は警備員になったんだ。」
その瞬間、胸の奥が重くなった。
人生は終わった。
そんな言葉が頭をよぎる。
悔しかった。
情けなかった。
ここまで落ちてしまったのか。
そんな思いが何度も押し寄せた。
しかし現場で見えた「人生の波止場」の風景
ところが、現場に立つようになると、見える景色が変わってきた。
警備員は、街を眺める仕事でもある。
通勤する人。
保育園へ急ぐ親子。
買い物帰りのお年寄り。
外国人観光客。
工事の職人。
宅配ドライバー。
自転車で駆け抜ける高校生。
一日立っているだけで、日本という国の縮図が目の前を流れていく。
東京には、実にさまざまな人生がある。
順風満帆に見える人もいる。
疲れ切った顔で歩く人もいる。
笑っている人もいれば、泣きそうな顔をしている人もいる。
警備員は、そんな人たちを毎日見送り、迎える仕事なのだ。
私はここを、「人生の波止場」と呼ぶようになった。
失業は終わりではなく、新しい物語の始まりだった
失業したとき、人生は終わったと思った。
警備員になった日も、人生は終わったと思った。
だが、今なら少し違うことが言える。
終わったのではない。
別の物語が始まったのだ。
この仕事を通じて、人を観察し、自分を見つめ直し、書くべきテーマを見つけた。
「警備員ブルース」は、その現場から生まれている。
まとめ|失業して最後に残った仕事が、人生を見直す場所になった
失業すると、人は自分の価値まで失ったような気持ちになる。
私もそうだった。
最後に残った仕事が警備員だった。
最初は敗北だと思った。
しかし今は少し違う。
この仕事は、社会の最前線で人を見続ける仕事だった。
そして私は、その景色を書く人間になろうと思った。
もし今、失業して途方に暮れている人がいるなら伝えたい。
最後に残った仕事が、最後の人生になるとは限らない。
そこから、新しい物語が始まることもあるのだから。